水仙の写真いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会黄金の間大ホールでのコーラスの演奏旅行でヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅中心に綴ります

写真を「撮る」ことが好き^o^
主にスマホで、時々ミラーレスで
旅行では動くバスの窓から撮るのが腕の見せ所(笑)。
四角の枠に自分なりに考えて構えるのが楽しみ
思い出の昔の写真から日々の写真までアップしています

2年ぶりの実家行き  11月19-21

2年前の12月に実家の有馬藩からの拝領地を売却してからずっと帰っていなかった。自分の体調が余り良くなかった事、娘婿がコロナで立ちいかなくなった東京のイベント会社から福島の桃農家に転職するという一大事件があったこと、母が大腿骨骨折でほぼずっとかかりきりだった事など重なって、実家に様子を見にいく余裕がなかった。


人の住まなくなった家は傷むのが早い。今回、もうどうしても年内に見るだけ見ておかないとと思い切ってたった2泊の強硬で、スカイマークの安い時間帯を選んで朝7時半の便で福岡迄 家を5時半に出て羽田でご近所さんと友達へのお土産を買い、朝ごはんのおにぎりを買って乗り込む。1ケ月半に1度の遠距離介護の時も2番目の便に乗り、中で1人で暫しのんびり窓からの景色を見ながらおにぎりを食べたものだ。

空港から富士山が見え、幸先良い気がする♬

行く事を知った中学の同窓生数人と1日目の夜、2日目の夜は1年足らずいた小学校の同級生と食事をする予定ができた。


さて、先ずは左の窓側に予約で晴れたら富士山が見られると思っていたが、ルートが変わったようで富士山の裾野が見えただけだった(笑) 

福岡空港に降りる時も前とは違うルートだった。

2年も経てば色々変わるよね…とにかく無事着いて高速バスに乗る。

祖母の実家のある鰺坂という町を通る

高良山が見えるとほっとする(^.^)

西鉄駅に荷物を預け、一番街を通って六ツ門へ。花屋さんで沢山花を調達して、無量寺で2年間のご無沙汰を詫びてお墓参りをする。昔はこの木の横にお墓があった

バスで西鉄に戻りカーディガンを買おうと思ったら、駅のタミー(食料品・衣料品・薬・雑貨とほぼ何でもそろう大規模スーパー)は食品だけになっていてびっくり。中学時代から馴染み深い場所だったのでかなりショックだった(-_-)。取り敢えず昼食と翌朝のご飯物を買って実家へ。
兎に角全ての窓を開け放ち、思った通り黴だらけになっていた1階の廊下とフローリングの床を掃除。2階は換気扇を付けたままにしていたので何とか布団も大丈夫。使う布団を屋根に出して陽に干す。水も2年も使っていなので最初は赤っぽい…随分流しティファールで沸かして飲む。
びっくりしたのは、坂の上側の隣では2棟ある家の1つが解体の真っ最中…お隣さんには両親もお世話になったし、私も可愛がってもらった。懐かしいおばちゃまも亡くなり、お姉さんは大分の実家に帰られたので取り壊すとの事。2年前から末娘で同じ年のY子さんが夫婦で戻っておられる。こうして変わって行くんだね…

うちの屋根下の板は風で飛んで雨は降り込み放題。両親の部屋は天井は黴だらけで、床はたわんでいた。

東京に持って行くものをアルバム何冊・花瓶や置物はどれ・掛け軸や美術品などと具体的な物と数を書きだし来年中に日時を取って段ボールに詰め、引っ越し業者に見積もりをして貰わねば。そして何処かの業者に仲介に入って貰って売り出し…来年中と区切ってやらないと、子供達の思い入れが深く先に立って進まない。


もう1つの驚いたこと…タクシーが来ない。予約の電話を入れても40分位掛かると…😲2件掛けたが同じだった。夜、中学の同窓生が5人ほど集まってくれるとの事で西鉄に6時の待ち合わせ。バスがスムーズに進めば10分位なので、タクシーが無理ならバスで1時間前に出たら大丈夫だろうと思っていたのだが…3号線は大渋滞で全く動かない。仕方ないのでバス亭3つ分くらいを歩いたら少しずつ走り出したので、そこから乗って何とか間に合った。車はあっても運転する人が居ないのだそうだ…いや~、びっくりだった(-_-)。


久しぶりで懐かしい。男子の一人Sちゃんの奥さんが亡くなってまだ四十九日も済んでいないらしい。結構落ち込んだというが、こんな風に友達がいると少しは気持ちも違うだろう。私は父の仕事の都合で小学校6年の5月半ばという中途半端な時期に豊中から福岡に転校させられ、馴染むのに大変で辛い事もありもう転校はしたくなかった。父が中学の途中で家を建てる予定だったので、転校しなくて良い区域のない教育大の付属中に入った。入ってから感じた違和感は、大抵が病院か老舗の商店・公務員の子供で普通のサラリーマンの子は殆どいなかったからだと思う。皆と会えて楽しかったしせっかく誘ってくれた事に感謝はするけれど、夕食が1万以上というのは私の普段の生活とは違う(笑)。

確かに美味しくて綺麗なイタリアンだったけれど、実家の様子見に行った「ついで」の私には大散財。皆いい人なんだけど、世の中にはリッチな生活が普通の人達もいる事を忘れてちゃならないと学んだ(笑) 寝具は生きていたのであったかくして眠れた。


さて2日目は洗濯をして両隣とお向かいに挨拶をしてお土産を渡す。そして久しぶりなのでJR久留米に出る

梅林寺を散歩する 思えば息子が大学に入った年に両親を東京に呼んだのだが、その時に父の様子がおかしい事に気づいた。検査で認知しようと診断される。そこから東京-福岡の1ケ月半ごとの遠距離介護が始まったのだ…もう20年近く前になるんだね~。夏迄にどんどん症状が悪化したが、介護申請をしてデイケアに通い始めて随分落ち着いた。3年後急に歩けなくなり掛かっていた厚生病院に入院。そこから7年寝たきり、父の後輩の院長先生にはお世話になった。母も認知症を発症して一人では暮らせなくなって東京に引き取った半年後に父が亡くなった。
遠距離介護10年…色々あったね~(笑) 久留米に切るたびに父や母を連れだしてここにも何度も来た。

紅葉が綺麗な境内

筑後川のJRの鉄橋 この左で筑後川の大花火大会がある。奥は背ぶりにつながる山々で、川の向こうは佐賀県になる

先祖は有馬藩に出仕していたので、有馬藩ゆかりの梅林寺は何となく落ち着くお寺だ。

戻ってブリヂストン通りの煉瓦道を歩いてみるが、こちらはもう紅葉は終わっていて残念。

2年前に売却した先祖の土地を見たら未だそのままだった。

小さい頃祖母と朝夕お参りしていたお地蔵さんにお参り

近くの祖母の頃から馴染みの沖食堂でとんこつラーメンを食べる。

JRの駅にモニュメントがあるが、とんこつラーメンの発祥の地らしい。ラーメンが美味しい訳だ(^^)v

2年は大きいな…色々考えながらバスで戻る。
家の内部と外を写真で撮る。夕方小学校からの友達Tちゃんと会う。彼女は直ぐ下の道に家を建てているので来る時は必ず会う。もう60代も半ばになって生い先も見えてきたからか(笑)、小学校の同窓LINEを作ったとのこと。卒業以来初めての2人も誘ってくれていたのに、何と私は完全に思い違いをしてWブッキングしていた。他の子達の予定を見て19日なったのに、初めに20日にと言われていたのでそう思い込んでいたのだ(-_-)。二人に謝りのLINEを入れたが、兎に角自分にショック。でもTちゃんは時間があるからと夕食は近所のお店へ誘ってくれた。何年ぶりかでご主人とも会った、彼女達の結婚式から知っているこうこうの校長をしていた人…いい仲間だ。バス停の近くが整備され、飲食店もできているらしい

2年ぶりで色々と話が弾む。校長迄務めあげた後大学の講師をしていた彼女も、この4月から完全退職したという。学校関係にもやはり色々なしがらみがあるらしく、ちょっとほっとしたと言っていた(笑)。薬剤師の同級生と認知症の方達へのボランティアを始めているそうだ。そして公民館でヨガを始め、高校から始めたバイオリンはもうテストがあるコンサートには無理なので諦め、私のコーラスの事を聞いてコーラスを始めたいと言っていた。やはりアクティブ(^.^) 2時間半程、焼き鳥や創作オカズを美味しく食べて飲んでも一人当たり3000円。私はこれが身の丈に合っていいな~。


あっという間に3日目。小学校のグラウンドも綺麗になっていた。ここからの朝陽が好きだ

母の俳句の同人誌やスケッチブックを整理していたら、従姉妹から送られた母の実家の系図が見つかった。今回は送る荷物はなしと思っていたが、1つ作ってそれらをタクシーで西鉄に出る前に郵便局から東京に送る。また換気扇だけ付けてカーテンを閉めて昼前に実家を後にする。お向かいさんが炊き込みご飯を炊いたからと届けてくれ、お隣さんが母にとカステラを持ってきてくださった、有難い。いつもなら帰りに「久留米荘」のうどんを4人前買って帰るのだが、火曜は休みで残念。


西鉄電車で福岡との間にある二日市の親友Hさんの家へ。電車からの昨日のJRの河口方面

筑後川の上流、九州山地に続く

電車は何と新しい車両になっていて、

中には煌びやかな設え迄…びっくりした。

彼女が2年前に浦和から福岡に戻った家には初めて訪ねる。あれこれ四方山話に花が咲く。相変わらず夫婦共にネットが不得意で損して生きてるらしい(笑)。私達の年でネットが苦手だと不便だと思うが二人揃ってなので、それさえ理解していないかも(笑) Hさんは自分から友達とのコンタクトを取るタイプではなく、夫婦仲が良いのでそれでOKな人。高校の仲間で私を入れた4人とは続いているのだが、どうもその2人とトラブっているらしく困っていた。「あん人達は割るか人じゃなかばってん、弱果皮との事まできを回してくれるタイプじゃないのはわかっとろーが。きつく言われた時直ぐに返さんと後がきつかろ?」気落ちしている彼女にアドバイス(笑)…女性は面倒だね^^;


アッと言う間に時間が経って、一緒に空港迄行ってくれるというので、ずっととりとめない話をし続けていた(笑) 「9月にコロナに罹って結構大変やったとよ~」「あの頃流行っとったけんね~私は10月にかかったっちゃん」と方言丸出しで話せるのは嬉しい このHさんが近くだったらいいのにな~。
福岡空港も色々と綺麗になって変わっている。

時間があるので展望台で話し続ける(笑)

歳取ると色々あるよね~、でも元気でいようねと話して別れる。
何だか色々思う事の多い3日間だった

改めて課題をしっかり認めて前を向かねばね…

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