水仙の写真いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会黄金の間大ホールでのコーラスの演奏旅行でヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅中心に綴ります

写真を「撮る」ことが好き^o^
主にスマホで、時々ミラーレスで
旅行では動くバスの窓から撮るのが腕の見せ所(笑)。
四角の枠に自分なりに考えて構えるのが楽しみ
思い出の昔の写真から日々の写真までアップしています

7月前半、コーラスと演奏会の話

・コーラスとの出会い
私は耳は好いと思っているが、特に綺麗な声でもないし音楽の勉強をしたわけでもない。ピアノは、当たり前ながら打楽器で音が大きく余り好きでもなかったのに、両親に嫌々習わされて中2迄続けた(笑)。小3の頃、当時通っていた学校の音楽の先生がNHK大阪児童放送合唱団の指導をしていたのが縁で参加。100年以上の歴史を持つパリ「木の実十字架少年合唱団」とジョイントをしたとき、合宿があって初めて教会で歌った。その時にキリスト教の宗教画を始めて見て、最後の審判の絵について説明を読んで驚いた。死ぬときが来たら一人一人の生涯に対して天国か地獄かの審判が行われるなんて!! 審判を待つだけということに愕然とし、勝手にキリスト教は怖いと思い込んだ。しかもとても響きの好い美しい教会なのにそこにそんな約束事が横たわっているなんて、二重の驚愕だった(笑)。


次は大学の混声合唱。自炊の下宿生活に慣れた頃、赤レンガの本館講堂から聞こえて来た歌声に安ど感を持ち入部。4年間ほぼ休まず毎日練習していた。ここでアカデミックな水のいのちや心の四季など組曲を歌い、渉外係で京都中の大学のコンサートで色々な団の歌声を聞いた。10数年子育てで空いて小学校のPTAコーラスへ。メンバーの1人が神戸に転勤になる時、体形がほぼ一緒の私に「衣装がもったいないからコーラス団体に所属してみない?」と声をかけてくれ、辻秀幸先生の女声グループに入った。そして25年以上のコーラスが続いている。ただのオバさんの集まりが、指導者によってこんなに素晴らしい体験ができるのは東京ならではだと思う。NHKのBSで氷川きよしなどの歌手達と歌ったり、吉永小百合さんやル・クプルなどフォークの人達とジョイントしたり、普段できない経験も先生のおかげだ。お母さんコーラスでは3・4年に一度位、都大会の金賞を経て全国大会にも出てきた。また秀幸先生に連れられ、初めてのヨーロッパもウィーンでの水のいのち披露公演だった。クラシックの声楽家で音大で教えて一般グループの指導もして…なかなか稀有な人だ(笑)


・7月11日本番まで
2時から大久保混声の、昨年コロナで延期になった演奏会が紀尾井ホールで行われた。大久保混声は女声の指導者で夜講演の指揮者の辻秀幸先生が顧問。お父さん辻眞行先生の頃から聞く方はもう20年以上と長いが、歌う側はほんの4年程。今回舞台に上がったのはコロナで通常メンバーの2/3程の40人程の数だったが、3stのうち2stが委嘱初演の組曲で、かなり重い内容になった。眞行先生が亡くなられ時代とともにコーラス自体の質も指導者も変わり、やっと中村先生で落ち着いてきたところだ。勿論練習の質も濃いし、ピアニストがいいしメンバーも熱心、一味違う団だと思う。ただ60人以上の老若男女の団体なので、全てが自分の理想と一致する訳ではなく、私のマイナーな性格もありまだ馴染めないところも多い。私はコーラス全てではなく結構ちゃらんぽらんなのだ(笑)でも歌えるだけで楽しい(^^)v。


7時半からの水のいのち祝祭コンサートは中野のZERO大ホールで。企画のC-proは、空調がちゃんとしている場所を貸出してくれさえすれば、江東区・北区・新宿区などあちこちのホールや練習会場を準備してくれて、まるでジプシーのように移動しながらも確実に週1回は練習ができた。こちらでヴォイトレも含めてしっかり声を出して備えられて感謝している。
さて、前日は両方のリハが同じ時間に重なった。当然の予測なので、初めてのZEROホールと自分の立ち位置を確認してから

夕焼けを見ながら

早稲田のスコットホールでの混声のリハに遅刻して参加。

新大久保のスタジオは狭いので、コロナ下で距離を取ると二部に分かれての練習になってしまう。全員で距離を取っても収容できる早稲田のスコットホールをよく使った。あと1日です、おちゃめな指揮者とピアニストの先生方
中村先生は女声の方で辻先生が舞台や授業などで来られない時に時々指導をしてくれていたので顔見知り、川井先生は女声でピアニストをしてくれたこともあり、Gレッスンをして貰ったりお世話になっている。この二人がおられたので大久保に入った。

スコットホールの近くに穴八幡宮があり、何度かお参りした。

練習が終わったとたんににひどい雷と雨(゜o゜)。両方の楽譜全部を入れるので重く、折りたたみ傘を置いてきた😿。濡れる覚悟でファイルを頭にのせて歩き出すところで、10本位のビニール傘を近くのコンビニから買ってきたテナーの20台の男子が「はい、これ上げます」と1本渡してくれた。ここで濡れネズミになって風邪でも引いたら大変なので、とてもありがたかった。帰りの電車が一緒になったので、聞きたいというので7時半からのチケットを1枚あげた(^.^)。学生から80歳近く迄の色々な人が集まる団体で、こんな風に労わってもらえる時もあって有難い(笑) 実は歌自体はもう本当によく毎日ピアノで音を取っておさらいをして、充分大丈夫だと思っていた。だがリハに出ないというのはその団を蔑ろにしていると取られるので、無理しても出ておいて良かったと思う。中々人に馴染めない性格って自分ながら面倒だ^^;
いつもは宵っ張りだが、昼と夜の舞台での衣装と靴、楽譜、のど飴と水、消毒スプレー、数枚のマスク、毛化粧品などゴロゴロに入れて9時にはお風呂に入って11時には就寝。しかし緊張からか全然眠れず結局うだうだ夜中2時過ぎても眠れない。少しでも眠りたいので眠剤を飲みなおして対応する。


・演奏会当日
天気は晴て上々。四ツ谷の紀尾井ホールへ行く道すがら、上智大の塀にのほほんとした猫がいた(笑)

ウィーンの学友協会ホールにどことなく似ている紀尾井ホールの客席。秀幸先生が夜講演のゲネプロ(私は1つ目の本番で欠席)の前に寄ってくれた。作曲家のなかにしあかね先生は秀幸先生の義妹にあたる。

9時までに集合とあるが、皆がどの位までに集まってくるのか話す人もいないので不安(笑)控室の座る場所も決まっていなかったので私の後に入った人の隣に座る。しかしその人はずっとイヤホンで録音を聞き直していて手持無沙汰(笑)、私は直前には聞かない。
先ずは舞台で軽い発声と位置の確認。頑張るぞ~

夫々に軽食と水分補給してい仕様に着替える。のど飴を楽譜フォルダーにテープで貼って、遠近両用のコンタクトを入れて…こんな時は25年以上の顔なじみの女声と4年程度の差を感じるが性格もあるかな~^^;お客の入りは収容の半分設定で、かなり空いて見えたが来て下さるだけでありがたい。私は19枚を配り結局15人が来てくれた。感謝あるのみだ。

1stが終わり、水を補給して飴を舐めながら2stへ。その2曲目で突然咳が出そうになった。実際「コン」と音の出た咳をしてしまった後、思わずマスクの上から口を押え、その後の音を抑えるのが本当に辛かった。戻る迄時間もかなりかかってしまい曲の半分が歌えなかった。3曲目に入っても音が延ばせずもうパニック状態だったが、何とか平静を装ってやり過ごした。袖に入る時に、指揮者とピアニストが揃っておられたので心から謝った。指揮者には「ちよっと長びきそうで心配しましたが、堪えられて良かった」と言われ、ピアニストには「大丈夫?無理しないでね」と言われた。周りにいた仲間にも大丈夫?と心配して貰ったが、隣の人が一切言葉を交わさず無視していたので、気になったんだろうなと辛かった。
どのステージもできは良かったと思う。作曲者の先生方、スタッフからの話も終えて大成功だったと思う。私の咳が音を乱さしさえしなければ😿

もう本当に消え入りたい思いだったが、いくら謝ったところで戻せない。夜の本番もあったので反省会が済んだら土砂降りの中を中野へ。何だか神様の罰のような土砂降りだったが、一人になれてほっとした。駅のベンチでおにぎりを食べ指定時間にZEROホールに入る。秀幸先生に直ぐどうだったか聞かれ、良い出来だったが、個人的には初めて舞台で咳をしてしまったと報告。「本番には事故はつきもの。不可抗力で仕方ない事だから」秀幸先生の日ごろの言葉が身に染みる。ぼーっとして眺める控室の窓から大きな虹が立ち上がり

半円に大きく広がったのが見えた。

勝手なこじつけだが、神のお許しが出た感じで嬉しかった。こちらはコロナ事情で男女のバランスが悪かったのは残念だったけれど、もう何度も暗譜している組曲2つなので落ち着いて気持ちよく歌えた。

秀幸先生はコロナで演奏会が軒並み中止になり、演奏会後の打ち上げもなくなったので、100㎏越えだった体重が10数キロ減ったようだ(笑)

水のいのちはお手の物のはずの志朗先生が、なんとはっきり音を取り間違えたのが判るミスを2度…プロのピアニストでもこんなことがあるのだ…と不遜ながら気持ちが少しほっとした。後から昨日の雨に濡れて軽い風邪をひいていたらしいと聞いた。
オフは派手な二人と自分も歌ったC-pro企画のE氏

皆、秀幸先生と一緒に写真を撮ったりグループで撮ったりしていたが、こういう時どうしても撮りましょうと言えないタイプ。後からいつもあ~やっぱり声をかけて一緒に撮ってもらえば良かったと思う^^;。今回も人の写真は沢山撮ってあげたけれど、自分も一緒に移してという時間はなかった、残念(笑)。


・おまけのマスクの話
帰りの電車では新宿で乗り降りする若者も多く、しかも酔っている者がかなり多かった。何故ああまでして飲むのだろう?さっぱり理解できない。隣に座った男の子が寄りかかって来たので見たら彼も酔っているようだった。勿論知らない日なのに、降りるときに「じゃね、またね」とふらふらと立ち上がりながら、私の背中に手を回して行った。隣に居た知り合いの方が😲「なんのこっちゃ?」だ。 マスクは怖い、顔は殆ど隠れるし、着ているものでの年齢の判断も難しい。酔っぱらっていたので、多分自分と似た世代だと勘違いしたのだろう。まだ、声をかけたもののよく見たらオバサンだったので「なんだよ、ババアか!」などと言いがかりをつけられず良かった(=_=)。


こうして1年ぶりの演奏会の本番のハシゴが終わった。1月からの6か月半、毎週2回は何があっても歌の練習をしてきたが、舞台に乗っている時間はあっという間。2月に予期せぬ痛みを伴う診断を受けて凹んだ今年の半分、コーラスがあったおかげで本当にありがたかった。全ての縁に感謝「ありがとうございました」

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