水仙の写真いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会黄金の間大ホールでのコーラスの演奏旅行でヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅中心に綴ります

写真を「撮る」ことが好き^o^
主にスマホで、時々ミラーレスで
旅行では動くバスの窓から撮るのが腕の見せ所(笑)。
四角の枠に自分なりに考えて構えるのが楽しみ
思い出の昔の写真から日々の写真までアップしています

三渓園のお散歩

前にいい所でしたと、写真を沢山そえた案内をムイントボンさんに見せて戴いて、行ってみたいなと思っていた。ということで、友達と小雨の降る中を歩いてきた。

池袋から横浜まで新宿ライナーで。そこから根岸迄行く。余り高い建物のない駅のバスターミナルからバスに乗る事10分位

久しぶりにバスに乗った^^; そこから住宅街を歩いて10分足らず。無花果が一ぱいなっている家があった、まだ売れてないけど懐かしい

ここが入口

誰もいないかなと思ったが、3組6人程が入って行った。広いからほぼ貸し切りのような
のんびり散策になりそう(^^♪
入ると道なりに左が池で、遠くに三重塔がみえ、右には蓮の花が沢山咲いていた。実業家でありながら、古美術品に詳しい茶人の原三溪ならではの庭園だ

霧のような気にならない雨だったが、風がかなり強かった。蓮の葉がひっくり返っている(笑)。この白っぽい黄緑は日本画風の色で何とも言えない色目だ

何だか広々としてみどりが綺麗で、それだけで嬉しくなる。

当時のボイラー レンガの跡

吉田茂、伊藤博文、原敬、大隈重信など歴代の総理大臣も訪れた、旧原家住宅「鶴翔閣」(かくしょうかく)。1902年建築の古い建物で、横浜市の指定有形文化財。貸出制度があり、色々な私的会や結婚式なども行えるとのこと。残念ながら貸し出しがあって中には入れなかったが、オレンジ色の灯りが漏れていた

入り口を回ると大きさがわかる。

入り口の中側
横側の外観

また池があり、推連が緑の葉を茂らせている。白の花だが、まだ余り咲いていなかった。いや、もう終わっていたのかも^^;

1708年、江戸時代に京都東山の西方寺にあった薬医門を移築したという

全国から移築、ってどうやって移動してきたのか知りたいものだ。解体か曳いてきたのか…どちらにせよ大変だったに違いない

門をくぐると白雲邸がある。大正9年、三渓が隠居所として過ごした数寄屋風の建物

三渓記念館に入る。池の上に建っている感じ。三渓の行政などを紹介していて、美術品や望塔亭という茶屋などもあるが中は撮影不可。休憩用のソファーがあったのでちょっと座って休む

途中の緑も、雨で木々がよく育って見渡すだけでも本当に気持ちがいい。

天瑞寺寿塔覆堂(国の重要文化財) おおこれはまた素晴らしい彫刻が! 瓦でこの弓なりの曲線は巧みだ。豊臣秀吉が1591年(天正19年)に建てたものとのこと

苔も綺麗なこみちが続く

後ろには水の器

進んで行くと板の橋が渡っていて、途中に立派な茅葺の門?が待っている。


過ぎると石段を上がっていく。結構続くのでちょっと息が上がる(笑)

こんなに広くて緑の綺麗な所で過ごすなんて最高の贅沢だ

重文の月華殿 
欄干の透かし彫り、室内の下が板づくりの障子と設え…床下も、華奢で上品

1603年、伏見城にあった大名が来た時の控え所だったそうだ。下から見るとこんな風。雨戸が回っているが、開け閉めだけで大変だろう…維持するのは大変だろうなあ…

苔の灯篭、きっとこれも当時のものだろう、まだ紫陽花も咲いていた

続いてある天授院 ここも重文


緑の中にこみちが作ってあるのは本当に京都などを歩いている感じだ。ゆったりした気持ちになる

苦だって行くと聴秋閣がある。徳川家光の上洛に際して元和9年・1623年に二条城内に建てられたもの。まわりの小川は船から直接入ったことを意識して設えられている。勿論重文の建物。(上からの写真はネットのHPから貰ってきました)

降りていく道すがら、三重塔が見え隠れする。最高の配置だ

春草廬に出てきた 織田有楽斉が建てた茶室で、京都三室戸寺金蔵院から移築された(国の重要文化財)

手前は東大寺の伽藍石 それとなくスゴイものがある

実際に使て勝手を考えての造りになっているのがにくい


蓮華院 すっきりした、原三溪が自らの構想で大正6年・1917年に建てた茶室。太い円柱とその奥の壁の格子は、宇治・平等院鳳凰堂の古材が使われている 戦時中に一度解体して移築されたもの

さて、結構な写真量になったので、続きはその2にて(笑)

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