水仙の写真いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会黄金の間大ホールでのコーラスの演奏旅行でヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅中心に綴ります

写真を「撮る」ことが好き^o^
主にスマホで、時々ミラーレスで
旅行では動くバスの窓から撮るのが腕の見せ所(笑)。
四角の枠に自分なりに考えて構えるのが楽しみ
思い出の昔の写真から日々の写真までアップしています

三渓園のお散歩 2

庭を廻れるように小道が作られているのですんなり進める。苔がいい感じ

なよ竹の…お姫様はいなかったけど^^;竹の白く粉を拭いたような色は日本ならではの独独の色目だと思う。さわさわという葉の音もいい。

水の音もあちこちから聞こえてくる設計になっている。歩きながら風を感じ、水の音、木々の葉の音が聞こえてくるのは最高の贅沢だ。

椿の大きな実がついていた

木々の下に人知れず座っている仏像もいて味わい深い

ちょっとした山道になる

登り切れるかな(笑)

展望台の手前、レンガの建物の跡にヤブカラシだろうか、群を為して咲いていて、そこに蝶々がいっぱい!!アゲハチョウ、クロアゲハ、雷アゲハ、モンシロチョウ、モンキチョウ…こんなに一度にひらひらしているところを見たことがない。何か夢の中に迷い込んだような感じでびっくり。友達が簡単に「花にきてるんじゃない?」と言ったので「あーそうか(笑)」と納得。甘い蜜に誘われて集まっていたようだ。写真に撮れていないのが残念だが、驚いた。

展望台として、松風閣跡がある

戦争で焼失したけれど、昔はこんな建物が建っていたらしい

上からは本牧の埋立地の海が見渡せる。工業地帯であっても、広々として気持ちがいい。

ここから下って右の道を行くと三重塔へ続く

なかなかいい雰囲気の絵になる眺めだ スツーパが綺麗。

遠くには住宅地、その向こうに港が広がるのが見える

階段道から出たのでどうも雁金、月影の茶屋跡を飛ばしたらしい。初音茶屋でちょっと座って休憩。コロナの影が見え隠れ…離れて座りました。

あれは林洞庵? 屋根が違うかな…沢山回ると分からなくなる時がある^^;

横笛庵を右に見て寒霞橋が小川に渡る。木造の欄干の切り抜きに趣きがあって素敵だ

旧東慶寺仏殿【重要文化財】
縁切寺、駆け込み寺の名で知られる鎌倉の東慶寺にあった禅宗様の建物で、江戸時代の初めごろに造られたものを、維持が困難になったので移築 仲良い人との縁は切れなくていいけどね(笑)

小さな滝から小川に注ぐ音がいい。歩く近くに水の音が聞けるのは最高だ

旧矢箆原家住宅
重要文化財で、1750年頃(宝暦年間)のもの

飛騨白川郷、現在の岐阜市荘川町にあった入母屋合掌造りの民家。御母衣ダム建設で水没するとのことで移築された。式台玄関や書院造の座敷など立派な接客の空間を備え、火灯窓が付けられて、飛騨の三長者の家の格式の高さを伝える。現存する合掌造りでは最大級の建物で、屋内の囲炉裏では毎日火が焚かれて黒光りした柱や梁、煙の匂いが白川郷の雰囲気を伝えている。

馬やの入り口から

風が通る設計になっている

鹿児島の母の実家を思い出す。軒下ってこんな風だった

食品を作る道具たち

横に上に4つ引きの物入れがある高さが違う台がついて、横に床の間、続いて台つきの障子がある造りも懐かしい

欄間に幾つもの形の違う扇子がアレンジされた欄間は初めて見た。いぶされて黒っぽいのがお洒落に見える。

仏壇が大きいのに驚く

行燈の色々が展示されていた

まだ煙が漂っている

台所の囲炉裏。丁度入った時に係の人が薪をくべたので、煙がもうもうと上がり独特の匂いが郷愁を誘って懐かしかった。上の板が切ってある格子になっている所で、濡れた着物などを乾かしたとのこと。木造で蚕を飼っていれば虫よけの煙は大事だったと思う

こちらはおいえの方の囲炉裏。お客をもてなす雰囲気が強いかな。

天井裏で蚕を飼っていた 金具を使わない工法は日本ならでは

思わなかった合掌づくりの家をじっくり見られて感動してしまった。
外からの様子がこれで、天気が良いと上の扉を開けて換気ができるようになっている

何だか違う世界に入ったような不思議な感覚だった。

さっきの横笛庵を見ながら

お腹もすいてきたので待春軒でお昼にする

名物の汁なし麺の三渓麺を食べる。食事の席で着物を汚さないよう、汁が飛ばないあんかけ風に味のついた出汁で食べる麺だそうだ。そばとうどんの間のような麺、中華風のあんかけと似て美味しかった。湯呑に入っているのは昆布茶(笑)

出て直ぐ左に橋を臨んでいい雰囲気。

右隣の旧燈明寺本堂も重要文化財で、室町時代のもの
木津川市の燈明寺は、衰退し第二次世界大戦直後の台風の被害で解体され、再建できないまま三溪園に寄贈された。移築の際に当初の中世密教寺院の様式に復原されたそうだ。

せっかくなので中迄いってお参りさせていただいた

少し進むと、こじんまりした三渓園天満宮がある。

向かいの勧進橋を渡ると大池の中に涵花亭がある

ここで一休みして見回すと、やはり広い

日本各地のいいものを集めて一同にめぐることができる場所を作り、持っていたのだ…

何だか昔の人になったような気持ちになる(笑) また勧進橋を渡って左へ

八つ橋という、折れ曲がって菖蒲の花を見せている木道のような橋を通る。置物かと思った鷺が飛び立ってびっくりした。

大藤棚の幹が絡み合って立派。藤の豆が沢山垂れていた

行きの蓮が見えている、向こう岸を歩いたことになる

建物の10棟もが重文で、3棟が横浜市指定の文化財のどこも見応えたっぷり。ゆったり周って存分に堪能できた。
原三渓は、生糸貿で財を成したただの実業家というだけでなく、芸術を理解した人だったそうだ。当時の新進芸術家の育成と支援の場として前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する作品が園内で描かれたというのにはびっくりした。戦争で焼失したのは本当に残念だ。茶人でもあり建物にも理解が深く、多くの壊されそうだったり立ちいかなくなった建築を引き受けて移築したのも素晴らしい。巨額な富をこんな風に使えるなんてすごい人だ。
ちょっと別の世界を垣間見られて、素敵な時間だった。

最後に帰り道で生垣にあった赤い実 この日はゆうに1万歩越えた=^_^=

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