水仙の写真いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会黄金の間大ホールでのコーラスの演奏旅行でヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅中心に綴ります

写真を「撮る」ことが好き^o^
主にスマホで、時々ミラーレスで
旅行では動くバスの窓から撮るのが腕の見せ所(笑)。
四角の枠に自分なりに考えて構えるのが楽しみ
思い出の昔の写真から日々の写真までアップしています

小太郎の話

この日は来ないでほしかったけれど、ついに来てしまった。
私の誕生日4月29日の明け方、小太郎は旅立った。

去年の10月にはまったくこんなことになるとは思っていなかった。小太郎の闘病の日々を辿ってみるだけなので、無用な方はスルーしてください_(._.)_ 

最初にお医者に連れて行ったのが2019年11月14日。関係ないけど私の結婚記念日だ。10月末の母の施設の事でバタバタしていて「このところカリカリをぽろぽろ口の左右から落とすようになって、小太郎もおじいちゃんになっちゃったね~」と、家族で話しながらオカシイなとは思っていた。18歳という年のせいだと思い込んでいたが、完全に食べなくなって(実は食べられなくなっていた)水も飲めず目がうつろになってきたので、2日目にはこれはオカシイと、H動物病院に連れていった。バス2駅分自転車にキャリーバッグを乗せて行くと5分程で、小太郎が一番怖くない方法だ。


最初に見てくれたのは元田先生という先生で、ちょっとヤンキー(失礼)っぽい雰囲気でお洒落な洋服が印象的だった。処置はてきぱきしていて小太郎に優しいのでありがたかった。口の中の写真をスマホで撮ってくれたが、かなりなエグイ写真で舌の右下に柔らかそうな真っ赤な肉片がもこもこあって、ぱっくり切れている。私はこの頃あげていた餌に煮干しが入っているので、それで切れたのか?と頓珍漢なことを考えたりしていた。体重は17日時点で5.3キロに迄減っていた。小太郎はMaxで8.3キロほどあったので、相当急激に痩せたことになる。
何故かソファーの下に籠るようになった。猫は体調が悪くなると狭い場所、暗い場所に行きたがる。

点滴は食事にはならないので、とにかく餌を与えてくださいとのこと。左を頭に抱き抱えて前足を左手で抑え、右の口の端から飲み込める量の柔らかな餌を入れる。小太郎も慣れないので嫌がって首を振ったり爪を立てたりするので、どういうやり方がいいのかに慣れる迄苦労した。うまく飲み込んでくれればいいが、一気にやるともどすし少な過ぎると体力がつかない。私の左足のももや腕は名誉の負傷だらけになるので、必ずバスタオルを膝に撒くようにした。
友達に聞いて、ネットから猫用の免疫促進サプリを購入。

日に1度の抗生剤と痛み止めのほかに、このサプリも餌に混ぜて与えることにした。なんか目がちょっとしっかりしてきたように思われた。

丁度小太郎が入る位の箱があったので、毛布を入れてやると気に入った。猫は箱が好き

ネットで「猫の口の病気」で調べると、撮ってもらったのとほぼ同じ画像が載っており「舌癌、生存率平均3か月」と書かれていて愕然とした。確かに舌を丸めて餌や水をすくう猫としては、食べる手段を失くしたことになる。気持ちは食べたい、飲みたいのにできないのは本人が一番もどかしく何故なのか不思議だったろう。何にしろ自力では食べられず飲めないのでシリンダーを貰って、柔らかい「闘病・回復期用の猫用缶詰」を口の奥に入れる。最初は一番太い40㎖のシリンダー、段々一度に飲み込めなくなって最後はぶどう糖用の1㎖の小さなシリンダーを使った。

小太郎は18歳と高齢なので、検査の麻酔も気になる。そこで小太郎を保護した時に最初に見てもらった病院で、セカンドオピニオンを受けた。「舌癌だろうと思われるが、検査自体にも負担が掛かるので自分なら手術はしない、点滴で補助しながら見送ることになるだろうから、通いやすい病院が好いでしょう」とのこと。余り優しくない印象を持ったので、H病院でこのまま検査を受けてそこから判断してもらうことにする。
いつどのくらいの量の餌をあげ、いつ水をあげたか、トイレはどうか、どこに寝ているかなど、すぐ忘れるけど大事な事なので、小太郎メモ日記をつけることにした。

本人は自分が病気になっていることなどわからないし、話せないから文句も言えないし、どうしたいかも言えないところが辛い。のんびりしている分にはいつもと変わらないのに…ひょっとしたら小太郎だけは特別で、治るんじゃないか? 飼い主はバカなものでそんなことを考える。

始めの8日間は毎日点滴に通い、20日間で少し体重が戻って血液検査では特に異常がなく、検査入院は12月4日に決まった。麻酔の間にできる過ぎりのことはするが、改善できる手術という訳ではないとのこと。H病院の池袋でお昼前に行われ、検査自体はうまくいった。翌日迎えに行ったら、夜中に何度も水の器をひっくり返したらしい(笑)。家でもガタガタと音がするのでびっくりして見に行くと、飲みたいけれど飲めないので、お風呂の上に乗っての蓋を両手で開け、張ってあった水をバシャバシャしていたことがあって驚いた。下手すると溺死だ(ーー;)。でもそれくらい飲みたいのだ。
洗面器を前にして、手を突っ込んでバシャバシャすることもあった。水はそこにあるのに、何故飲めないのかわからずもどかしく水に前足を突っ込むのだろう…

3日後に結果が出た。やはり癌で、場所的に血管と神経が集まっているので手術はできないとのこと。抗生剤と痛み止めを使いながら強制餌を取って点滴で補い、少しでも楽しく過ごせるようにしてあげましょう、とのことだった。わかってはいたけれど、そうか~治す方法はないのか…という感じ。この日から強制餌に朝の抗生剤と取り寄せた免疫改善のサプリを混ぜて与え、水を与え、週1度点滴をして薬を貰いに行く日々が始まった。

幸い、小太郎はキャリーバッグに入るのは嫌いじゃないみたいでよかった。下にトイレシートを敷いて、小さな毛布で包んで中に入れ自転車に乗せて行く。このバッグは両側から開けられるようになっているので、頭の位置がどっちでも出せて便利だ。

とにかく食べさせて栄養をつけ水分を取って安定させる為に、4時間から6時間おきに食べさせて何とか年を越せた。そして2020年1月3日に撮った年賀状の写真には、家族として小太郎を抱いて載せることもできた。
1月末頃から台所が気に入って流し台の前に陣取っていたので、体を冷やさないように160㎝の電子カーペットを敷いてその上に絨毯マットを置き、毛布を鳥の巣のように丸くしてその中に寝てもらう事にした。尤も最初はあちこち動き回るし、位置も換えてそこそこ元気にしていたが、段々動くことが減ってきた。
やはり食べさせていても段々痩せて衰えてくる。顔がかなり小さくなって、銀太の方が大きい位…

暖かいからか小太郎が好きだからか銀太はよく小太郎と一緒にいてくれた。シマは小太郎がトイレに行った後キッチン迄歩く途中に待ち構えて攻撃したり、寝ているところを噛みついたりする。可哀そうに、小太郎は中腰で逃げるように歩くようになった。私が小太郎を構うのでやきもちを焼いていたようだ。

どうしてこんなことになっているのか途方に暮れているように見えてしまう

いつも夜は私の布団で私の腕に頭を乗せて寝ていたのだが、1月半ばにはトイレに間に合わず漏らしてしまい、それからは念のためシーツにおねしょシーツを敷いてご飯ごとにトイレを促すようにした。ふらつきながらも律義にそこ迄歩いてちゃんとトイレをするのが小太郎らしい。しかしトイレで力を入れるのでもどし、ご飯を与えたばかりでもどし…癌は舌から段々広がっているらしく、痩せていく。


そしてやはりお風呂が好きで廊下の扉を開けて直ぐ入ってしまう。危ないので締め切っていたが、もう好きにさせてあげようと思って、マットを敷いて飲めないけれど水のいっぱい入った洗面器を横に置いてやる。下にもクッションを置いてリビングから見えるようにするけれど、可哀そうで仕方ない。背中がゴツゴツ骨が見えるくらいになってきた。

2月に入ると舌の上部にもポツポツ腫瘍が出て来て、舌の右側に神経が繋がららなくなったのか平べったくなり、牙に当たって出血することがある。また舌の左下の癌は大きくなっているようで時々喉をふさぐ形になってむせたり、出血するようになる。よだれが増えてしょっちゅう拭いてやらねばならない。気持ち悪いのだろう、前足で口を触るので唾液が空気に触れて前足が黒くなってしまった。飲み込むのが大分辛そうになり、食べる量も減って、一段と痩せてくる。


医者では曜日によって3人の医師が分担して看てくれるのだが、結局月・木の最初の元田先生の木曜に行くようになった。丁寧に見てくれ「頑張ってるね~」「頑張ろうね~」と言ってくれ「温めてあげてね」「やりたいようにさせてあげてね」と色々助言をくれるのでありがたい。2月末からは口の中が気持ち悪いようで更に餌を飲み込むのが辛そうになる。調子よく入れると、食べ終わって戻して薬が入らなくなるのでゆっくり少しずつにする。
小太郎も大変だが思えば私も、一度7時間出かけた他は人生のうちで初めてこの半年の間6時間以上の遠出は一切しなかった。2月迄は小さな演奏会やランチにはいったけれど、小太郎のことを思うと長居はできない。段々体力も落ちて来て、トイレが終わったらごろり、お風呂に入れてと哀願して疲れたらごろり…小太郎用に痛くなくて暖かいように、ごろり用カーペットを敷いた。

こんなに痩せてきてもやっぱりお風呂に行けば水が飲めるんじゃないかと思うらしい、三角に痩せ細ったこんな顔をしてこっちを見あげるのだ。滅多に泣かないのに時々声をあげて何か訴える。

ね、ドア開けてよ、お風呂でお水がのみたいんだから。そういってる。なんか右目の瞬膜があがってきている。これも癌の仕業だろうか…

仕方なく風呂蓋の上に毛布を敷き、その上に寝てもらう。口の横に血が流れて固まっている。お湯で綺麗にしようと思ってもなかなかうまく取れない。少しずつ毛が抜けてきた。とにかくしたいことをして気持ちよく過ごしてくれればいい。

益々飲み込むことが難しくなった。嚥下がうまくいかず今までの柔らかい治療期の犬猫の缶詰でもなかなか飲み込めない。20歳用のとろとろの餌を使ったり、液体状の栄養価の高いものなど工夫をしながらもなかなか呑み込めなくなってきた。つまり餌からの薬が取りにくくなったので週2回の点滴になり、ビタミン剤と抗生剤を入れてもらう。鼻からとかお腹から直接栄養を取る方法などもあると聞いていたが、そこ迄する必要はないと思ったし、先生も「処置で消耗することもあるので、本人が苦しむのでなければそれでいいんじゃないかな」とのこと。
体重も4キロを切り、体温も37度台になる時もある。もうよろよろで、トイレも中でうんちをしたらエネルギーが尽きて中で横になってしまうこともある。下痢状で少しだが体が汚れるのですぐにお湯で拭いてやる。それが寒くないように、毛布で包んで寝かせる。喉が辛そうなので下にタオルを敷いてやったり工夫し、毛布も直ぐ換えてやる。口の中で癌が広がり舌の下部を占領してか、口は更に閉まらなくなってきた。

時々口の中で出血するようで、口中は黒くなって血が毛布につくことも多くなった。突然ゲゲゲッと呼吸困難になることも増え、背中を撫でてやったり、スポーツ用のH2Oの缶から吹き付けてやったりしてあげる。少しの液状の餌や水の他、ぶどう糖を貰って1mℓや2㎖という少量ながら口に入れる。寝ていても気管にも癌が広がってふさいでしまうのだろう、急にゲゲゲッとなる。それでもやはりお風呂が好いらしく、ふらふらしているのにどうやって上がったのか待っていたので、手桶の水を何度も口につけてやる。

寝そべってしまったら毛布を敷いてやる。

23日の病院行きが元田先生の最後の点滴になった。もう手助けしないと自分ではキャリーバッグから出られない位消耗しているが、点滴をしてもらうと少し楽になるからだろう、おとなしく先生の顔を見る。先生は本当に良くしてくださり「いい子だね~、頑張ってるね~」と撫でてくれ、気持ちよさそうにしていた。
26日にはもうトイレにも立ち上がって行けなくなった。抱いて連れて行きまた戻してやる。口が開いたままなのでゼイゼイ息が上がって辛そう。安楽死のことも考えたが、18年も一緒にいたんだからのたうち回るような辛さではない限り、見守る介護が辛くても見届けてやるのは義務のような気もしていた。元田先生もそういう意見だった。


27日は元田先生の日だったが、行き来することでエネルギーが無くなりそうだったのでもうやめておいた。あっちこっちに向きを移動していたが、もうそれもできないようだ。28日の夜中、寝る前にちょっと見ておこうと思い1時頃確認に行くと、何か顔で訴えていてくる。念のために敷いていたトイレシートにオシッコが出ていたので取り換え、体をお湯で何度も拭いて綺麗にした。敷いていた絨毯とタオル、巻いていた毛布を気持ちが良い新しいものに換えてやる。
もう殆ど自分で動けなくなっているので頭をあげてやり、横になったまま口にぶどう糖を1mlほど与えると飲み込んで「小太郎」と呼びかけるとしっぽを動かした。本当は両手で抱き上げることも本人には辛そうだったけれど、次があるかわからないので、両手で抱っこして撫でる。10日程前から液体の餌も殆ど飲み込めなくなくなり、週2回の点滴とビタミン剤に1~2mlのぶどう糖だけ。骨と皮になっていた体をしっかり抱いてあげた。


「本当によく頑張ってるね、いい子だね」頭を撫でながらそれしか言えない。「もし向こうに行ってもぷくやちょびが待ってるから心配はないよ」顔も喉もゴツゴツになった背中もしっぽも撫でた。撫でると気持ちよさそうにして顔をあげる。ハトムギの匂いが好きで乳液を塗った手をよく舐めていた。鼻の上にクリームをちょっと乗せてやって、色々整えてもう一度喉の下を撫でてあげてから寝たのはもう2時頃だった。そして朝6時半に主人が「声をかけても反応しない」と私を呼びに来たので行ってみたら、確かに息をしておらずもう硬直が始まっていた。


4月29日の私の誕生日、小太郎の壮絶な舌癌とのほぼ6か月にわたる戦いは終わった。
箱に毛布を敷き、その上にバスタオルでくるんだ小太郎を入れた。ベランダに咲いている濃厚な香りを放つ羽衣ジャスミンを切って入れ、店が開くのを待って花を買ってきて一緒に入れてあげる。いつも寝ていた私の布団の近くに安置する。銀太とシマがくんくん匂いを嗅いで寄ってきていた。


ネットで探したペットの火葬をしてくれる会社に電話して、夕方5時頃来てくれることになった。受け取って1時間ほどでお骨になって戻ってくるとのこと。もう数時間しか小太郎が見られないのかと思うと何だか不思議な気がした。生まれたら何時かは死ぬ、これは人も動物も同じ。ただ、動物の方が早く歳を取るので、飼う限り人の方が見送ることになってしまうのは仕方ない。
子供たちにラインで連絡して写真を送り、小太郎を可愛がってくれていたクラフトの生徒さんにも伝えた。もう固くなった体は小太郎だけど小太郎ではない、息もしていないし冷たい血の通っていない小太郎の抜け殻だ。それでも、良く戦い抜いたねと撫でてあげる。撫でながらとめどなく涙が落ちる。


待っている時間は長かったような短かかったような…。若いスタッフが後ろに高温焼却炉を搭載したバンで来て、扉の中に小太郎を寝かせて供えていた花を乗せて扉を閉める。最後に私の口から出た言葉は「小太郎バイバイ」で、涙で何も言えなくなった。そして車は会社に戻り荼毘にふし1時間半ほどでお骨になって戻ってくるのだ。今迄に送ったぷくとちょびは某神社の境内に眠っている。時期が来たら小太郎もそばに眠らせてあげよう。


夕方、本当に半年の間良くしていただいた動物病院にもお礼も込めて連絡した。そうか、小太郎は癌発覚からの平均余命の倍も頑張ったのだね。
子供達から私の誕生日に合わせてお花が届いた。

翌日動物病院からと生徒さんから立派な花が届いた、ありがたいことだ。ずっといい香りが漂っている

小太郎は、18年前にうちに来た保護猫だ。まだ私は40代、子供たちが中学と高校の頃だった。そして小太郎は虹の橋へと旅立った。

動物病院の元田先生が4月半ば「猫ってね、ただ居るだけでいいんだってよ」と「猫はこうして地球を征服した」という本を紹介してくれた。その時、もう別れは近いんだなと思った。本当に、小太郎(猫)は要るだけで何をしてくれる訳でもなかったが、確かにそこに居てくれるだけで癒されてきた。
小太郎、私の所に来てくれてありがとう。本当に感謝しています。

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