水仙の写真いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会黄金の間大ホールでのコーラスの演奏旅行でヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅中心に綴ります

写真を「撮る」ことが好き^o^
主にスマホで、時々ミラーレスで
旅行では動くバスの窓から撮るのが腕の見せ所(笑)。
四角の枠に自分なりに考えて構えるのが楽しみ
思い出の昔の写真から日々の写真までアップしています

今年の花見は是か非か? 千鳥ヶ淵の思い出と靖国神社1

武漢ウイルスのせいでお籠り状態が続いて、運動は殆どしないで食べているばかり…これでは他の要因で体を壊してしまうじゃないか(T_T)。いやいやそんなバカを言っている場合ではない…
日本では何とか持ちこたえてはいるけれど、油断するといつ突発的な感染拡大に広がるかわからないと警告されている。世界中、特にイタリア・スペインを中心としたヨーロッパやアメリカで感染が爆発的に広がっているらしい。この1年でかなりのヨーロッパ各地を回ったので、行ったあちこちの観光地が人の居ない街になっているのを見るとまだ信じられない気がする。


日本はオリンピックに沸くはずだったのに、運良く日本が何とか収束に向かったとしても、世界的には早くても数か月、ひょっとすると2.3年かかるかもしれないと予測される中で、オリンピックの精神は尊くても、今のこの状態では日本に海外から人が来られないだろう。世界中の誰もこんなことになるなんて思っていなかったわけで、皆が実態がまだ明らかでないウイルスに不安と恐怖を覚え、マスクをはじめとする必需品がなかなか手に入らない状態で、あらゆる業種のあらゆる人達の日々が先の見えない時を過ごしている。


武漢ウイルスのことを数年後にどう語られるのだろうか…日本はどうなっていくのだろうか? 21日に1か月振りにお試しで混声の練習が始まった。自分の体調や家庭の介護等で無理をしないで、窓を開け、人と人の間を取っての練習だった。結果半分より少し多いくらいの人数が集まって、音は取れなくとも(笑)久しぶりの練習は楽しかった。指揮者やピアニストは月給というわけではないので生活費も大変だと思う。またヴォイトレの先生が出歩けなかった結果か、かなりふっくらになっておられ、自粛の影響を強く感じる。1か月の間に新大久保の駅は綺麗になり、改札口が増えて駅が広くなっていてびっくり。練習場に行くまでの間にマンションやお店も新しいのができていた。街の変化は速い。いつも道は歩けないほど込んでいるけれど、人はまばら。でも新宿駅で乗り換えの人はいつもと変わらないといっていた。自分も久しぶりに電車に乗ったが、これはいいのかどうだか…


お彼岸も、どこにも出ず花も見に行っていないから、神保町から千鳥ヶ淵の桜を見ながら歩こうということになった。人が多かったらすぐ帰ろうといいながら先ずは靖国神社にお参りをする。神保町の広い駅の構内は殆ど人はいない。普段は人出が多くて見えなかった所がいっぱいだ(笑)。のんびり、初めて「こんなところがあったのか~」とあちこちを見ていたら千鳥ヶ淵のお濠の桜迄見る時間が無くなった(笑)。今日は靖国神社だけということにする。


駅を降りて濠に沿って坂を上がる。15年前の桜の頃、息子の大学の入学式を武道館でするので是非お祝いにいらっしゃいと無理やり誘って、両親が福岡から出てきた。殆ど遠出をしない両親…私が新幹線の切符を取って送って、やーっと腰を上げてくれた。何せ実家の名前は息子が継いでいるのでその後継ぎ孫が大学に入学するのだから来てもらわねば。その頃は4月のはじめにはまだかろうじて桜が残っていた。日本の桜の時期も随分早くなったわけだ。

千鳥ヶ淵を左に上がっていくと武道館の入り口に着くのだが、この坂がきつくて父がハアハア息を切らし、休み休みやっと歩くというありさまだった。私はどうも電話の様子や親しい人たちから聞いていた様子から、父がおかしいと踏んでいた。
ちょっとした距離が歩けなくなっている。やる気がなくなっている。ちょとの時間が待てない。この違和感は一緒に泊まってもらうと益々はっきりしてきて、福岡に戻ったらすぐに心療内科を受診するように強く勧めることになる。そして5月に私が様子を見に行った時には、朝一緒に食べられていたのに昼には箸の使い方が分からなくなり、夜にはよだれを垂らすという恐ろしい速さで父は何もかもが分からなくなってしまった。更に恐ろしいことに、母はその深刻さが全く理解できていなかった


この夏家族全員で戻るまでに、脳神経科や心療内科での診断により父の認知症が明らかになり、病院が決まりケアマネを付けて介護申請をして毎日生協のデイケアに通うことになった。嫌がるのを朝夕家族皆で周りについて、1時間ほど無理やり歩かせる。「何故こんな所に行かねばならないんだ」と不服な父を、初めてのデイケアなるものに毎日連れて行き、主人も一緒に体操したりゲームをしたりしたものだ。幸い父は劇的に回復して、手助けがあれば自力で着替えたり食事したりできるまでになった。とはいえ、元の父ではなくなったが…両親の人生の大転換になった。私の人生の大転換でもあった。その始まりがこの千鳥ヶ淵の桜の頃だった。


この年の夏から10年数年に渡る、1月半に1回の遠距離介護が始まったのだ。日本で新しく手探りの介護医療が始まり、介護事務所も使う方も慣れない時代だった。両親が仲人をした遠縁の私と同世代の奥さんが母の足になって下さり、母が腑抜けて医者の説明が受け止めきれない状態だったのをよく支えてくださった。私もまだ40代だったんだなぁ、もう15年前かあ…桜は昔を思い出させる何かを持っている気がする。


2020年の千鳥ヶ淵を左に見て高灯篭の横の歩道橋で道を右に渡り、明治神宮の外の鳥居の方に向かう。

橋の上からも既に桜が見える 一般的な桜は、3本から10本近くの花枝が節からまとまって出ている。それが咲くのでたわたわなボールが沢山あるように見える

第一鳥居。靖国神社の鳥居は大きい。普段人がいつもごった返してぞろぞろ入っていくので、こんな形の大きな鳥居だったと、ゆっくり見たのは初めてだ。参道の道もこんなに広かったのね…土があるところなど人が多くて分からなかったから(笑)

鳥居の横に、桃色の濃い桜が咲いている

青空に映えてピンクが綺麗だ

こんな子供を背中に乗せた可愛いい狛犬が居たなんて全然知らなかった。だって、普段は人の山の中を進のに足元に気を付けてころばないように、と思うだけで周りに何があるかなどわからないもの…(笑)

こんなに大きな灯篭がずっとまっすぐ続いていたのを見てびっくり。参道がひ・ろ・い・のにも改めてびっくりする

慰霊の泉 こんなものがあるのはいつもは見えず、知らなかった。不思議な形をしている

桜のオブジェが幾つも。これは「さくら陶板」といわれ「靖國神社御創立150年記念に英霊にゆかりのある各都道府県の土を用い現地の陶工達により制作・奉納されたも」のだそうだ。

見る方には同じに見えると思うが、どの枝も空の青に映えて「見て!見て!」と言わんばかりなもので、ついつい沢山撮ってしまう

陸軍の創始者、大村益次郎の像

いつもは人が多くて使ったことがなかった手水舎 
青竹に穴をあけたところから水が出ている形は珍しい

灯篭 陸軍に関したレリーフに囲まれている

第二鳥居

神門 コロナ感染により、大相撲奉納が中止になった連絡のたてかんがあった

ゆったり通ることなど余りないので、こんなになっているのか~と下から撮ってみた

丸柱は立派だ。

古い桜の木が多く、花は小さめ

斎館・社務所の前にはコケに覆われた一段と古い木に、小ぶりの花がついている

その向かいには気象庁が指定した東京の桜の標本木がある。日当たりの好い所は満開になっていた

桜の白っぽいピンクの花を見ると、清々しい気持ちになる

すぐ後ろは能楽堂で、桜とよく合う

花をつけずにもう若い葉っぱが出ているこぶもある

いよいよ中門鳥居 これは木製

拝殿の建物。その奥が正式にお祓いをしてもらうための本殿になる

ここもこんなに人がまばらなことは余りないので、ゆっくり撮ることができた

立派な屋根を支える棟木の羅列と延び出具合は美しい

主因所 お札を買った

右の建物は到着殿 今までこんなに丁寧に見たことがなく、あるのも知らなかった

行事のある時はいっぱいになるだろう場所

靖国神社は思ったより広くて、人も少なかったので思わぬ発見ばかり…よく歩き、桜も綺麗だったので予想以上の写真を撮ってしまった。遊就館と庭園は次にまわすことにする

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