水仙の写真いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会黄金の間大ホールでのコーラスの演奏旅行でヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅中心に綴ります

写真を「撮る」ことが好き^o^
主にスマホで、時々ミラーレスで
旅行では動くバスの窓から撮るのが腕の見せ所(笑)。
四角の枠に自分なりに考えて構えるのが楽しみ
思い出の昔の写真から日々の写真までアップしています

5月のスペイン旅行4日目 ヘネラリフェ

これが先ほどついた今日泊まるホテル。日なたは暑いけれど影は涼しい。5時半出発で、みんなでいよいよもう1つの期待の場所、夏の離宮ヘネラリフェとアルハンブラ宮殿との観光へ。

ホテル前の坂道を2、3分行くと

すぐ大きな駐車場に着き、そこで現地ガイドさんと合流。関西弁を話すダジャレ爆発のお兄さんだった(笑)。はい、私たちはここにいますね~

チケットはパスポートと一緒に見せて入る。ネットからの地図でいうと、初めにチケット売り場から入り、右の庭園をめぐってから王宮へ向かう。

※アルハンブラ宮殿とヘネラリーフェ庭園について
711年にイスラム教徒のスペイン侵略が始まり、後ウマヤ期に首都だったコルドバを守る要塞という形で、最初に「アルカサバ」が建てられた。住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えており、現代に残る大部分は、イベリア半島最後のイスラム王朝・ナスル朝の時代の建築とされる。初代ムハンマド1世が建築に着手しそこにナルス期のモハメドⅠ世がグラナダへ首都を移す。14世紀前半にはユスリフⅠ世の頃に各建物が壁で繋がれて現在に近い姿になる。


夏場非常に暑いグラナダの中でもとても涼しい場所に位置し、数千人が居住する城塞都市として発展した。14世紀後半のモハメドⅤ世の頃に最も隆盛をはくし、君主の住居としてライオン宮など壮麗に整えられた。その後、キリスト教軍の勢力に屈して15世紀後半のモハメドⅫ世の時に王宮は開放され、そのあとにキリスト教の修道院がおかれることとなる。
現在14000㎡もの広大な丘に、当時の豪華絢爛な姿とは違うが威光が偲ばれる姿を残している。アルハンブラは「赤い要塞」の意味で、壁の色とも、当時の建築の斧が夜の灯りに赤く浮かんだからともいわれている。


庭園が続いた先に別荘があるので、そこまで道に沿って庭が続くようだ。全貌の地図は貰ったけれど、どういうルートで行くかは聞かされていないので、自分がどこへ行くのかよくわかっていない(笑)

小川が綺麗 後から、これは水をふんだんに使った庭園から流れてきているものとわかる

ラベンダーが咲く道を進む ちょうど右に映っている体格のいい後ろ姿の男性は、写真もビデオも撮っておられて、ツアー後自分たち夫婦の旅行記ですが風景も入っていますので、と私にも動画を送ってくださった。写真もいいけれど、やはり動画はそのものなので迫力満点だった。いつか私もそういうことができるといいなぁ^^;

迷路のようで、作られた糸杉というのもなかなか素晴らしい

段々道の左に向こうの丘が見えてきた 谷を越えた向こうが宮殿と市街

右側は林のようになっている造園の垣根?

前庭と呼ばれる入口までの長い道

この階段を上がっていくらしい

入ると、さっき右にあった林はこんな糸杉が背景の野外劇場庭だったのだ、素晴らしい。人がいないと大きさがわからないがかなり背が高い。ここを後ろに見ながら左へ進む

糸杉をぎゅうぎゅうに詰めて育てるとこんな風になるのね~、トンネルになっている中を通っていく。

みちみちで、まるでフェルトのよう(笑)。

入るとレンガの柱に緑が覆われてちょっと不思議な感じ。床のタイルの模様もおしゃれ

この垣根が縦・横に作られていて、間に糸杉フェルト(笑)のゲートが作られているので「迷い」を楽しむ迷路のようだ

高低差の大きな丘の上の城塞なので、片方の端は絶壁のよう。バラが上だけ膨らむような剪定をされていて不思議な感じだ。崖の向こうに市街が広がる

かくかくに剪定されて、まるで不思議の国のアリスに出てくるような木だ

内側は庭園 残念ながら今はこのバラには花はなかった

たくさんのグループがガイドさんについてぞろぞろ(笑) 中庭のタイル模様は場所によって違う

ポンと大きなオレンジの木が植わっていたりもするし

木々の間にはキンセンカ、トレニア、ポピーと、日本でもよく見る花たちが無造作に咲いているかと思うと

手のかかるバラのアーチもある

日が沈んだらライトアップされる。9時頃からだけど…(笑)

崖と反対側は壁(笑)向こうはどうなっているんだろう…水抜きの穴のため、壁が風化しているのが面白い

噴水の水が涼し気 ここから、ずっと続く水路が始まる。
因みにこれで時間は夕方6時を過ぎている

長細く切られた水路がずーっと続き、両脇に上にだけ花をつけるように剪定されたバラの木が沿っている人が映らないように写真を撮るのは結構大変だった(笑)

糸杉のアーチに吸い込まれそうだ

一瞬人が見えなくなると、ちょっとこわい気さえする

ここはまるで低木の迷路…一人だと抜け出せないかも

ここから次のポイント、いよいよ離宮の入り口へ

やっと着いた別邸の建物に入る前庭 ガイドさんから説明を聞く

前庭の水盤

ここから入っていく

狭い階段を上がる

上がったら予想外の光景が…

こんなところに出た! 回廊に囲まれたアセキアの中庭だ

ここも水と緑の涼し気な設定になっている。真夏は日なたは50℃近くになる時もあるそうだから、緑と水は貴重であり、贅沢な物だった。二階建ての建物は風通しが良く確かに涼しそうだ ちょろちょろと出る水のアーチが素敵

反対側、来た方を振り返る 壁をバラが這うように育てられている

右の回廊の端から来たことになる

回廊は崖側で、内側の壁には細かいアラベスク模様がびっしり。

※アラベスク模様について
イスラム教では偶像は禁止されているので、人や動物などの像ではなく、植物のモチーフや直線や曲線、植物の蔓を組み合わせた複雑で細かい模様が使われた。そのとりどりの文様をアラベスクと呼んでいる


窓からは宮殿が見える 昔、宮殿と繋ぐ谷間を渡る歩道があったのだそうだ。

この廊下がずっと水路に沿って続く

暑さの伝導を和らげるためか、壁はとても分厚い

噴水の水路と庭とがあるので、意外に広い 日よけにスカーフで頭を覆っているのは添乗員さん(笑)

アラベスクの模様が、まるでステンドグラスのように、切り絵のような透かし模様になっている この分厚さでよくできるものだと感心するばかり

アーチのところは「ムカルナス」模様といわれる、漆喰を鍾乳洞のしずくのような模様にし上げた細かな細工になっている。奥の壁には少し色が残っているが、この細かい1つ1つの模様の中が金色で輝いていた時代もあったという。現在の漆喰の色も味があるように見えるが、金ぴかで色鮮やかな装飾だった時代にはそれはそれは華やかな建物だったわけだ。キリスト教時代に壊されたりはがされたりしてしまったのだという。

ここから回廊を回って進む スルタナ(糸杉)のパティオ

浮島のように四角に切られた煉瓦と四角い緑の中にバラが綺麗だ

回廊の通路の石畳は小石が並べられていて、ここはひし形

高低差を利用したしつらえが多いので、上り下りの階段も多い

一段上は見晴らしがよい

瓦はちょっと沖縄っぽい 素材は素焼きのテラコッタのようだ

実際にこれは獅子らしいが、瓦の飾りもシーサーっぽいし(笑) 

屋根、いいなぁ


眺めとしては素敵だけど、今からあそこまで行くのかぁ…(笑)昔あったアルハンブラ宮殿とつながれていた通路が壊されなかったらよかったのに^^;

門を出て、行きより上の道を通って宮殿との分かれ道まで戻る。

壁の浸食のされ方を見ると時代の経過が忍ばれる

水木貴重で生活に切り離せないもの、ところどころに湧き水のような水源がある

さっき見た舞台の裏側になるようだ

ステージのうしろを越えて

アーチの道を通るのだが、合間から見える景色が段々変わっていくので楽しい

あの目白のような糸杉を植え絡みうるとこんな風なのねー

あの宮殿迄たどり着けるのだろうか…

ぐるっと回って降りて行く

日本の城と同じで、すぐにはこられないよう曲線に回ってしか登れない。砦、という感じが残っている。ここは数段丸石を重ねて平石を二列、というリズムで作られている

草が生えているところには建物があったのだろう、今は石垣部分だけ残っている

ここで下の道に交差する橋を渡り、宮殿へ向かう道に入って行く

ここまでが緑と水の夏の別荘、ヘネラリフェ観光。次はいよいよ宮殿を廻る。
超スローで、とぎれとぎれに進む旅行記にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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