水仙の写真いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会黄金の間大ホールでのコーラスの演奏旅行でヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅中心に綴ります

写真を「撮る」ことが好き^o^
主にスマホで、時々ミラーレスで
旅行では動くバスの窓から撮るのが腕の見せ所(笑)。
四角の枠に自分なりに考えて構えるのが楽しみ
思い出の昔の写真から日々の写真までアップしています

5月のスペイン旅行4日目 アルハンブラ宮殿前半

赤の丸のところから宮殿の丘に入っていく I-D-C-B-A-E-F-Hで戻ってくる感じでまわったことになる

橋を渡るといきなり遺跡風の壁が出迎えてくれる

水の塔

見えない壁の向こうが気になる(笑)が、これが城壁で向こうは崖になっている

女声コーラスで数年前に歌った千原英喜先生の「南の絵本」という組曲は、私たちくりの実会が初演だった。その中の岸田衿子の歌詞に「アランブラ宮の壁の模様」「迷うことを楽しむ」「出口から入って入口から出る」などがあって「ああこれは、タイルの模様や迷路のようなあの感じの場所だ!」という思いがした。


「いそがなくたっていいんだよオリイブの木が そう云っている」「走っても 走っても オリイブ畑はつきないのだから」「ゆっくり歩いて行けば 明日には間に合わなくても 来世の村に辿りつくだろう」
これらの歌詞は、イタリアに行った時に果てしなく続くオリーブ畑を見たり、ジプシーの女性を見たりして「こういうことね」と思ったものだ。


同じ旅行も、歌った歌を思って見学するとわくわくするところもあって二重に楽しい。

森の中に遺跡が一体化しているという感じで進む。宮殿に向かう道の右側には5世紀に建てられた修道院を改築したパラドールがある。反対側は段差がある崖のような感じで、砦の塔がいくつも続く 七階の塔?

これは建物跡? 遺跡には違いない、何時代のものかはわからないものがぽこぽこ出てくる^^;

カビタンの塔?

折れた柱かアーチか…何だったのかを想像するのも結構楽しい。左の白い木は白樺。夏場は暑いけれど、寒くもある地域なのだ

今はパラドール・デ・グラナダとしてホテルになっている、サン・フランシスコ修道院が見えてきた。ここも大昔は建物が建っていたかもしれないが、今は整地されている場所

※ 宗教と建物の話
アンダルシア地域には、7世紀には要塞が築かれていたらしい。イスラム勢力は711年にアフリカ北西部からジブラルタル海峡をわたってイベリア半島に進出し、以後その大部分を支配下に置くようになった。その栄華の跡がアルハンブラ宮殿になる。しかし11世紀からキリスト教勢力に圧されて次第に後退して、13世紀の初めにその退潮は決定的になる。ここには最初はイスラムのモスクとして建物が建っており、その後キリスト教の教会に代わっていく。全てを壊した上に新しい宗教施設が建設されたのではなく、同居した形で残っているところが特徴になっている。


庭園ごとホテルで、窓型の垣根から見え隠れする

パラドールを囲む、きれいに整えられた生垣とバラの花壇

遠くに見える雪をかぶった山々はシエラネバダ山脈で、3000m級の峰が続いている

左手の崖の手前にはアベンセラフェスの塔付近の、ナスル時代の市街地遺跡がある

簡単なゲートのようなものがあり、チケットとパスポートの確認場所の1つになっている

出ると広場になっていてパラドールの入り口になる

その先はパラドールの正式な入り口。とても立派で瓦が葺いてある背の高いゲートと糸杉がきれいだ

ここを後にして道なりに曲がってくと、右手がホテルアメリカ

今日は締まっていたが左はお店で

右側は「ホテルアメリカ」に続いてサンタマリア・教会が建っている。漆喰ベースにレンガと色実のある薄くした石の模様がとてもおしゃれだ。

中央の小さく見える建物がホテルアメリカ、手前左が教会、右がお店

振り返ると結構な坂だった

サンタマリア教会とカルロス五世宮との間に階段があって、宮殿がある長細い丘の向こう側に続いて横断していくことができる。

私たちはそのまま下る 板チョコみたいな不思議な岩の壁が印象的なカルロス五世宮。立方体の角面を切ったような石の作り方や、彫刻、三角のひさし屋根などに、ちょっとエジプト的な香りがするような気がした。

丸窓と四角の窓のセットが続いていて、上の階はその間に三角の小屋根とフラットな小屋根が交互に続く。

途中の白い柱のところが入口だ。この建物は外面の作りが面白いだけではなく、入るとビックリする

半立体の柱と彫刻の雰囲気はローマ風?

さあ、入りまーす!!

カルロス五世宮の違う壁面の扉

建物の中に入ると、もう一つ扉があるようで、その奥に緑が見える

大理石のタイルを張り合わせた曲線が美しい、壁と天井 

16世紀のルネサンス様式で建てられていて、現在は美術館になっているのだそうだ

そこを通り抜けて明るい方へさらに進む

なんということでしょう! 競技場かと思うような曲面に柱が並んでいてびっくり。しかも二階建て。外は四角だったのに、真ん中が丸い中庭になっているのだ。

圧倒されて、皆写真撮りまくり(笑)

色のきれいな石が象嵌細工のような柱

地下もあるようだ

小部屋への入り口。やはりどこかエジプト的のようなローマ的のような感じがする

突然木製の彫刻がある大きな扉がある

ガラス越しの美術展示物

なぜか廊下の天井は真っ黒(笑)

子供が白いドレスを着て写真を撮られていたので、何かの撮影かと思ったら、日本の七五三に当たるお祝いだそうだ。

真ん中が広場になっているとは思っていなかったので、思った以上に圧倒された。二階から見ると更に広い。

ここを出て、トイレの建物の二階からの眺め

敵が下からやってきたときに狙い撃ちする小窓が見える

これ自体が城壁 そしてずっと続いている

ワインの門 ワインのような色と葉っぱのデザインから呼ばれているようだ。

降りて私たちもこの門をくぐる アーチの左右のグリーンの模様がとても素敵だ

岩の塔が見える水槽の広場を通り

アルカサバの塔を左に見て、下の道からメスアール宮へ向かう

門をくぐると坂になっていてカルロス五世宮を下から見る感じになる。

ここを上がっていく

扉に打たれているのはただの金属の釘ではなくて、1つ1つがはホタテ貝のデザインの釘だ

狭い入口を通ると

メスアールの間に入るとまずすてきな天井が目に入る ここは王の謁見の間だったが、キリスト教の征服のあとは礼拝堂として使われた。

花模様の木製の飾り彫りが施されているし、白いアラベスク模様のタイルも素敵。ベルト状に続くアラビア文字をアレンジしたカリグラフィデザインには「神は偉大なり」との文字が刻まれているとのこと。アラベスク模様のタイル装飾には、アラマーレス王朝のモットー、カルロス5世の盾、メンドッサ家の紋章が記されている。

アラブ語のカリグラフィーデザイン、現存する壁の漆喰縁飾りには「あなたたちが持っているもの全ては神から生じたものである」と書かれている。そんな場所がそのままキリスト教の教会として使われたのが興味深い。
木の枠の所は聖歌隊が歌った場所で、かなりはがされているが、色鮮やかな絵が描かれていたあとが見える

タイルの模様のアップ 一部とれているけれど青と緑が美しい ちなみにアラブでは青が基調のものが多いが、スペインでは緑や黄色のものも多い。

そして床の模様が、漆喰レンガと小さな正方形のタイルを組み合わせて、あじろの編み込みのようなデザインになっている

中央に段差がある。柱が天井に繋がる部分の立体的に四方に広がっている彫刻部分が細かい細工になっていて綺麗だが、そこにも色々な意味が入れ込まれている。みな見上げて熱心に観察している

祈祷室。「入り、求めよ。正義を求めることを恐れてはならない。正義は必ずある」と帯状のカリグラフィー模様には書いてあるという。アラベスク模様も美しいし、壁をくりぬいたステンドグラスのような雰囲気を持つ窓、下の窓部分のアーチのギザギザの彫刻が見事だ

天井は木製の寄木造りで星空のよう。壁の漆喰に施された膨らんだ文様には極彩色の色が塗られていたというが、ちょっと想像がつかない

当時はこのエリアで裁判や政務を執り行っていた。屋根の重なり方が、交互になっているのが面白い

メスアール宮のパティオの水盤 花びらのようにくりぬかれた中央は噴水にもなる。現在のものは、リンダラハの庭にある本来の噴水と全く同じに作られた複製(1943年)

メスアールのパティオからコマレス宮に通じる側。2つのはまぐさのついた扉がある。張り出した屋根の内側の支えの並び方が、神社仏閣の垂木のようで不思議な気がした。

外が見える窓からのアルバイシン地区の景色

壁にはほかの部屋へ続く入口がある


黄金の間へと続く。当時は金箔が施されていたためにこの名前が付いた。一つ一つの帯状装飾の漆喰細工に金箔が貼られていたこの場所では、政務の内容を書記が記録したと言われている。周りに施されているレリーフ模様にはコーランの言葉で「神のみぞ勝利者なり」という言葉のアレンジがされているらしい

天井の寄木細工が素晴らしい

ここを通ってコマレス宮に入る
コマレス宮は王の公邸で、アラヤネスの中庭の周りにはいくつかの女性専用の部屋がある。中庭の両端には柱廊があり左右で公と家族の場に分かれていた。北側にはバルカの間と大使の間があるコマレスの塔があり、ダーロの谷を眺めることができる。


大使の間は宮殿内で一番大きなサロンで、奥の窓は昔ステンドグラスになっていたらしい

ここに謁見の大使が通されたといい、最大限の贅を尽くしたしつらえになっている。星空のような寄木作りの天井は素晴らしい

バルコニー風のスペースは、アラベスク模様の漆喰タイルと、文字のカリグラフィー模様で埋め尽くされている。

この気が遠くなるような細かい細工に、いったいどれだけの労力がかかったのだろうか?!

この床は、唯一残っている作られた当時のものだそうだ 結構凹凸があり、何だかタイルの絨毯のような感じ^^;

バルカの間 アラビア語で祝福を意味する「アルバラカ」によるとも、天井の形がバルカ(船)の底のようだからともいわれる

バルコニーと反対側、非常に分厚い壁の向こうがバルカの間で、入ってきた外に続く

コマレスの塔が見えるアラヤネスの中庭に出る 池に映る建物と空が美しい

水盤も含めてみるとこんな風になる

見ているときは実際の配置的に宮殿がどのような展開になっているのかわからなかったが、とにかく細工の1つ1つが緻密で細かく、部屋ごとに「おぉーっ」という感じに感動しまくりで、写真も例によって山ほど撮ってしまった。なので、余りにその他こもごもの写真が多すぎてなかなか終わらない^^;。
一旦ここまでで、続きのライオン宮からは次回へ回すことにする。


似たようなことばかりの写真日記にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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