水仙の写真いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会黄金の間大ホールでのコーラスの演奏旅行でヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅中心に綴ります

写真を「撮る」ことが好き^o^
主にスマホで、時々ミラーレスで
旅行では動くバスの窓から撮るのが腕の見せ所(笑)。
四角の枠に自分なりに考えて構えるのが楽しみ
思い出の昔の写真から日々の写真までアップしています

熊野古道への旅 2日目夜と3日目①トルコの話と那智の滝

2日目の宿泊は温泉付きの、串本のホテル&リゾーツ和歌山串本。
海へ出て、夕陽を見ながら南へ移動、夕焼けが綺麗だ

🚻休憩も、熊野古道の雰囲気が濃い

ホテルに着いたら、夜景の写真を撮って…

串本のホテルにはちょと独特の飾りが多いのに気付く。トルコ風のものが多いのだ。何故か? というと理由がある。

◎フリゲート・エルトゥールル号(ネットからの要約)
1887年に行われた小松宮夫妻の現在のイスタンブル訪問に応える目的で、オスマン帝国海軍の木造フリゲート・エルトゥールル号が、航海訓練を兼ねて日本へ派遣された。1864年建造で全長76mのエルトゥールル号は、1889年7月14日に出港し、数々の困難に遭いながら11か月をかけてようやく到着した。横浜港に入港した一行は、同年6月13日にアブデュルハミト2世からの皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎された。
エルトゥールル号は出港以来蓄積した艦や乗員の消耗、資金不足に伴う物資不足が限界に達していた上、多くの乗員がコレラに見舞われ、1890年9月15日になってようやく横浜出港の目処をつける。遠洋航海に耐えない消耗ぶりから、日本側は台風の時期をやり過ごすように勧告したが、オスマン帝国側はその制止を振り切って帰路につく。1890年9月16日21時ごろ折からの台風の強風にあおられ紀伊大島の樫野埼の岩礁に座礁し、機関部への浸水で水蒸気爆発が発生。22時半ごろに沈没して、司令官オスマン・パシャを含め、600名以上が海へ投げ出された。
現在の串本町、大島村樫野の住民たちは、台風によって出漁できず食料の蓄えもわずかだったが、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この結果69名が救出され、残る587名は死亡または行方不明という大惨事となった。
明治天皇は可能な限りの援助を行い、義捐金や弔慰金も寄せられた。日本海軍のコルベット艦である「比叡」と「金剛」が20日後の10月5日に出航し、神戸港で生存乗員を分乗させて1891年1月2日にオスマン帝国の首都・コンスタンティノープルまで送り届けた。これにより当時のオスマン帝国の人々は遠い異国である日本と日本人に対し、好印象を抱いたといわれている。


ホテルにも、この話にまつわる写真が展示されていた。今あるトルコ人の日本びいきにはこんな歴史があったのにはびっくりするとともに、交流の素になっている事がとても嬉しい。

よく歩いたので、ご飯も美味しい。刺身も新鮮で、鍋も美味しかった。少しずつ色々な物が出ると嬉しい、洗い物もないしね(笑)

関西風の甘口お出しが上品で美味しかった。

ネットから露天風呂の写真 夜で景色は見えなかったが、風が心地よくていい温泉だった

部屋はこんな感じ 夜ついて朝早く出るだけなのに勿体ない位だ

脚にシップを貼っておやすみなさい(^.^)
朝起きたら、こんな風景だった

晴れではなさそうだが、せっかく来たのだから、どうしても橋杭岩(はしぐいいわ)に行ってみたくて、タクシーを予約して海まで降りた。
この奇岩群は、鬮野川(くじのかわ)小字橋杭の海岸から紀伊大島方面へ大小約40の岩が南西一列に850mの長きに渡り連続してそそり立っている。朝日が素晴らしいとのことだったが、残念ながら太陽は拝めないようだ。

どうしたらこんな風景になるのだろう…見飽きない

振り返ると泊っているホテルが見える。丘の上の見晴らしがいい場所だ

やはり思った以上に岩が続く海岸は圧巻、見に来てよかった

似たような岩の浜なのだが、撮りだすと素晴らしくてバカみたいに何枚も取ってしまう(笑)

岩だか木だか(笑)


ここをぴょんぴょん飛んでいけるのだから、最高!

奇岩群を満喫してホテルに戻り、朝食。梅干しが美味しくておかゆ最高。

明るくなると、部屋の窓からはこんな眺めだった。あそこ迄行ってきたかと思うと満足(笑)

昨日下って来た海沿いの道を北に戻って、那智の滝へ向かう
途中の浜にこんな変な館物が…津波が来た時の避難場所だそうだ。

電車と並走(^.^)

こんなに岩場が多いと、確かに船も難破しそうだ…海は綺麗でもあるがひとたび自然の牙が向かえば脅威に変る。自然は偉大だなぁと思う。


暫く海沿いを走って左の山の方へ分け入る。バスを降りたら直ぐ鳥居が見えてきた。
熊野那智大社は、熊野三山の一社で全国約4,000社ある熊野神社の御本社、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬が厚い。

ご祭神「熊野夫須美大神」の御神徳により「結宮(むすびのみや)」と称され、人の縁だけでなく諸々の願いを結ぶ宮として崇められ、那智御瀧は自然を尊び延命息災を祈る人が多い。

神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)の御東征を起源とする。丹敷浦(にしきうら)(現在の那智の浜)に上陸し、光り輝く山を見つけその山を目指して進み、那智御瀧を探りあて大己貴命(おおなむちのみこと)の現れた御神体としてお祀りされた。一行は天照大神の御遣いの八咫烏の先導で無事大和の橿原の地へ入り、西暦紀元前660年2月11日に初代天皇、神武天皇として即位された。
先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、その後熊野の神々が光ヶ峯に降臨され、御滝本にお祀りしていた。317年に山の中腹にあらためて社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神様を遷したのが、熊野那智大社の始まりとされている。
那智の御瀧は熊野那智大社の別宮、飛瀧神社の御神体として祀られている。

1500年以上の歴史をひしひしと感じる参道だ

それ程歩かずに階段を下りると、TVの紹介で見たことのある滝が見えてくる

おお、本物だ!! 心中小説に欠かせない場所だし、ブラタモリでも出てきた場所だ!!

とうとう来た、那智の滝…

お香の煙を浴びて…

今は水量が少ないとのことだが、

高い所から落ちている滝は凄い 毎年正月の為に、神主さん3人で新しいしめ縄を滝の上につるす作業をするらしい。大変だろうなぁ…

ここから先は入場料がいるとのことだが、せっかく来たのだから入ってみた。

いただきましたとも、霊水ですから(^^)v

階段を上がっていく

少し上迄行くとやはり近い

せっかくなのでおみくじを引いた 

はははっ、こんな大きいのはじめてみた(^.^) やっぱりこっちだよね♬

下りは楽だったけれど、階段の上りは結構きつかった^^;
那智の滝を堪能して、次の熊野那智大社へ続く

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