水仙の写真いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会黄金の間大ホールでのコーラスの演奏旅行でヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅中心に綴ります

写真を「撮る」ことが好き^o^
主にスマホで、時々ミラーレスで
旅行では動くバスの窓から撮るのが腕の見せ所(笑)。
四角の枠に自分なりに考えて構えるのが楽しみ
思い出の昔の写真から日々の写真までアップしています

母の大腿骨骨折 愚痴のコーナー(笑)

5月21日夕方、母の施設から電話があった「急に歩行困難になっています」と。痛がってはいないので、取り敢えず車椅子にしている、との連絡。実はその前14日に会いに行った時、何だか痩せて小さくなって、顔がしわくちゃになったのが気になった。息子と娘に送る為ににこやかに笑って~。たった1ケ月ちょっと前には問題がなかったのに…
⇒5月半ばの面会時

「痩せたようだけど、体重はどうですか?」と聞いたら「1.5㎏痩せただけで問題はない」と言われた。42㎏の者が何もしないのに1.5㎏痩せるって、おかしくない? 
直ぐに会いたいと伝えたが、予約がいっぱいと翌週の26日にやっと面会予約が取れた。廊下ででもいいから会わせてほしいと不満が残ったが…母は車椅子で面会室に入って来た。また一回り小さくなっている( ;∀;)。「痛いの?」と聞くと『大丈夫』という…老人のアルアルだ。「どこら辺が痛いの?」と聞くとお尻の辺りを触る。「そこが痛い?」と聞くと「ちょっとね」という。痛がらないのではなく、進んで訴えないだけ…認知症の人にはそれなりの聞き方がある。老人の相手は慣れているはずの施設の人達が、その人の状態にあった聞き方をするのは当然じゃないか? 私達は預かっていただいているけれど、対価を払って仕事として見て貰っているのだから。施設の専門医はどういっているのか聞くと「様子を見て見ましょう」だけらしい。しかし突然歩けないって何か異変があるという事だ。
⇒路地のアカメガシワ

 車椅子だと自分で体を動かさないので認知症が進む。3月には早食いの母は、誤嚥が怖いから刻み食にしますと言われ、片栗でのど越しを良くするとの事で1袋7500円もするものが購入された。何人分? ネットでググったらAmazonで同じものが3000円位…なんだかな~そして余りの心配回避はかえって廃人への道を進ませる…痩せたことも気になるし何か変わった事は今はそれしかないので、先ずは普通食に戻して貰った。施設から病院に看て貰えないのか聞くと専属医に家族の意向を伝えて相談するとの事。紹介状を出すので、施設近くの脳神経と整形のある病院を選んで予約してくれと言われた。大きくて設備がよさそうな私立病院に問い合わせると、紹介状を持っている人からしか予約ができないという。施設と病院に夫々連絡をして手こずった。結局施設から直近の日時で予約を取って貰い、介護タクシーを予約して病院に行ったのが6月1日。
 息子は10数年、整形の骨折に特化した人工骨や器具の営業の仕事をしてきた。本当はいけないのだが当然のように一緒に手術に立ち会い、時には医者にアドバイスなどもしていたらしい。老人の骨折は時間との闘いなのに、何やってるんだともどかしいようで、施設に面会を打診したしたが断られた。彼は3月半ばにコロナに罹患したのでまだ3回目のワクチンを打ってない。施設は3回目を打った人のみの面会できる規則。施設には拒否られたが、病院の付き添いとして直接病院に来てくれた。施設は一度に2つの科を周るのは大変だから先ずは脳神経に予約したという。レントゲンを撮って脳梗塞などの異常を見てくれたが「依頼があれば看ますけれど、症状が出て10日以上して脳神経にこられても何も僕らができる事はないんですよね」と言う…そうだろうね(ーー;)

息子達は別の車で千葉から来てくれた 私達は母と一緒に乗って行く

息子がイライラして、私立病院から談判して施設の看護師さんに午後からも診てくれるB病院の整形に紹介状を流して貰い、そのまま回る事になった。レントゲンでは異常なしだが痛みがあるのでMRIを撮りましょうと、予約待ちで一番早い4日に予約。また4日の朝9時に川口の施設に行き、介護タクシー7000円也。健康はお金に代えられないが、施設の介護車を出してくれてよさそうなものだ…ケアマネさんも良い対応の人だったのに、コロナでスタッフが回らなくなってから変わってしまった。結局4日のMRIで骨に縦の線が入っていることは確認でき、何か異常があるのは確かとのこと。ただ、詳しく見れる医師の判断を8日に聞きに来いと…この病院はMRIの解析もできないクソ医者しかいないようだ…(-"-) それ迄車椅子で様子を見て、それで状態がどう動くかよく観察してほしいとのこと。
⇒施設迄の道のティーツリー

施設に戻って状況を話し、また8日に介護タクシーを予約。9時は朝食の時間で忙しいので、ずらしてほしいと言われた。そうですよね、母の為だけにスタッフさんがいる訳ではないから(-_-)。後ろから施設長が「私は来られますから9時で大丈夫です」と言う。係の看護師さんは良い人なのだろうが、決まりと優先順位や緊急性を総合判断できないようだ💢。私達も施設迄ドアtoドアで50分、通学時間で混んでるけど病院からの時間指定だからそう言ってるのだ…息子じゃないが、何処もここも配慮のないな事ばかりでうんざり。改めて、こちらの希望を先ず言ってから、できない事は譲る形でないとどんどん後回しにされるのを思い知った。何もかもコロナという壁に阻まれる…
 結局8日に、歩けなくなって18日もしてから「打撲性の大腿骨骨折」の診断を受けた。どこかで転んだのだ。施設は確かに母だけの世話をしている訳じゃないから不可抗力は了解している。しかし老人の特性を知っての早い対処は、十分できたろうにと思う。大腿骨骨折と聞いた時点で「終わったな」と思った。入院・手術になったらコロナでなくても認知が進む。しかもコロナで大抵の病院は面会ができないとなれば暗い未来しか浮かばない。「ここでも手術できますが、どうしますか?」と聞かれたがMRIも解析できない医者のいる病院は不安…「家族と相談します」と言って、かかりつけ医と息子に電話する。家から近いとなると日医大か都立大塚など…かかりつけ医の先生は母を引き取って直ぐの頃看てくれたこともあり、施設を薦めてくれた人だ。大塚はリハビリもいいんじゃないかとの意見。息子がとにかく直ぐにでも手術してくれる先生のいる病院を仕事のつてで探し回った。直ぐなら千葉の病院、家の近くなら王子病院という。手術はこれ以上遅くしたくないので、迷った末王子を選んだ。
 息子が直ぐに連絡をして翌日9日に受診予約が取れた。翌日また介護タクシーのストレッチャーで王子迄運ぶ。9日の診断にもよるが、暫く施設はそのままにし、王子病院に行く。もしそのまま入院できなくても、揺られて悪化するよりその時は一旦自宅に戻る予定。
⇒嫁から少し早く届いた父の日のお花

 9日、朝に施設に迎えに行くと母はもう介護タクシーのストレッチャーに乗せられていた。長いので運転手さんと色々話したが「こんないいスタッフの施設はなかなかない。自分の親に何かあればここに入れたい」と話していた。通常はそうなんだろうが、突破的な事があった時にどういう対応かが問題なのだ。今更遅いと思いながら色々考える。着いた初めて見る病院は思いの外小さい所だった。直ぐに検査が始まり、駆け付けた息子も一緒に先生の説明を聞く。直ぐ手術したい所だが、年齢が高いので麻酔や手術に対応できるか検査をして5日後に手術という事になった。何やら専門用語で先生と息子は話していた。「病院には何科が何曜日に手術室を使うなどの規定があったり、各先生の裁量粋があったりする。医者は直ぐオペできない時はこじつけた理由を言うだけ」「それでも普通に行っていれば1週間や2週間待たされる事例もあるから最善ではあるかな」とがっかりしながら言った。
 さて、やはりコロナで病院の面会はできない。母は初めての病院に何故入院したのかもわからず、面会ができないとなるとかなりパニックだろう…そこで主人と私のスマホを、片方にイヤホンを付けて家族LINE状態にして母に渡して貰う。私達と息子家族、娘など多くで話しかけて刺激を保つ作戦だ。面会できずにずっと寝かされて天井だけを見て5日過ごすとどうなるか…想像するだけで恐ろしい。
⇒病院前のやまもも

ということで、毎日チョコや飴、花の本や俳句の本などと叱咤激励の手紙を差し入れ。LINE参加状態でスマホの1台をイヤホン付きで母に渡して貰い、皆でLINEで30分~1時間程話す日々が始まった。私は本当のことを言うと、認知症が進んだりもう歩けなくなるならそれはそれで仕方ないと思っていた。しかし、息子の「できる限りを尽くしたい」という圧が余りに強く「そうか、諦めてはならないな」と思いを新たにした。看護師さんも忙しいだろうが、面会ができない分気遣ってくれているようで優しい対応で色々として下さる。それでも、認知症は明らかに進む。そりゃそうだ、ベッドから動けないのだから…
息子から看護士さんも人数が多いから違う人の度に「認知症が入っているから刺激を与えてほしい、これ以上進むと術後に響くので極力協力をお願いします」と話するようにアドバイスされる。待合室で毎日トンチンカンながら話して不安を和らげ、同じ事を飽きずに話す。娘、嫁やひ孫たちも母から歳や名前を何度も聞かれながら、忍耐強く話してくれて有難い。12日、リアル面会はできないが、息子達がまたお見舞いに来てくれた。友達の結婚式に来て、嫁のおばあちゃんが危ない状態ということで、単独で佐野までお見舞いに行った間、息子と子供達が母の方に来てくれたのだ。

そして14日に手術。12時からで「その前にはストレッチャーを移動する時に会えますよ」と言われて30分前から待機。何と母は手術の水色の服を着て両手を合わせ、まるで焼き場にでも入るような恰好でストレッチャーに寝ていたので、思わず笑ってしまった。本人に取ったら、訳も判らず知らない所に連れてこられ、知らない人ばかりの中で過ごし、今度は動くベッドに乗せられて点滴の管を付けられて不安MAXだったのだと思う。

「大丈夫、これから手術だけど、腕のいい先生が執刀するから心配ないよ」と声を掛けたが、シワシワの顔は恐怖に慄いていた。

そして1時間余りで手術は成功し、まだもうろうとしていたが病室に移動する時も母を見られた。先生から手術結果の写真を見ながらの説明を受ける。「手術は上手くいったので、骨折からの痛みは無くなる。ただ、どれだけ回復するかは未知で、リハビリ病院転院は自力でどんどんリハビリする人が優先になるので、紹介できない場合もある」との事。先の暗い話ばかり…これからどのくらい病院に居られるか分からないがその間は会えない。大きな声で話しかけながら病室近く迄ついて行った。今時は、術後すぐにリハビリを始めるらしい。ただ、老齢で認知の入った母がどれだけ回復できるか分からない。ひょっとすると寝たきりになるのかもしれない。不安しかないが、とにかく1つクリアできた。


 術後1日目の面会。少し傷が痛いようだが、手術前の顔より落ち着いていてほっとした。息子一家、娘一家とも話をして、皆に応援して貰ってありがとうと言っていた。看護士さんから「とても我慢強い方で、麻酔が切れても一言も泣き言を言われませんでした」とのこと。本人は自分が大腿骨骨折で手術したことも判っていなかったけど(笑) 

手術後すぐに看護師さんから「相談係がいますから、ここを退院後リハビリ病院に移るかなどを相談して下さい」と言われ、受付に聞いたが音沙汰無し。息子も「待たされる場合もあるから、近くのリハビリ専門病院を当たっておいたほうが良い」と言っていたので、ネットなどで調べる。もう個人で当たろうと思っていたところ、21日にお見舞いの後突然相談員さんが話をしに来た。調べていた大塚、板橋赤羽など比較的近い所の4つほど候補のリハビリ病院を当たって貰い、条件や予約の事など詰めて貰う事になった。病院間の打ち合わせと紹介になるらしい。待たされる所もあるので早く入れる所、認知症があることなど留意を聞いて貰えるところ優先で、後から連絡をくれるとのこと。少しまた進んだが、母の状態で入れる所があるだろうか? やはり良く分かっていなくて、毎回家族LINEで「大腿骨骨折で手術して、ここは病院なんだよ。施設と違うから、出来る事は何でも自分でしなきゃならないからね」から始まる(笑) 昔話や病室の事などなるべく話して貰う。


 23日で手術から9日、入院してから2週間毎日通って、たかが地下鉄3駅とはいえ少々疲れ気味…自分も歳をとっているのだ(笑)。母は手術前後はやはり混濁が酷かったが、慣れてきたのかましになって来た。お昼は12時半頃、夕方だと5時頃、母の好きなミニ饅頭、のど飴、おせんべいなど差し入れを少しずつと、俳句の本や花の本を途中の本屋で調達して、毎日1通日付を入れた手紙を付ける。そして例のスマホLINE映像で話す。時々は看護士さん達にお菓子を差し入れ、様子を聞く。看護士さんの話によると、今日は平行棒のような器具でリハビリをしたらしい。「洗面所迄は車椅子で行くの?」と聞くと「歩いて行く」というが、まだ一人で歩けないと思うので本当かどうか分からない^^;。そこに行って色々と指示できたらどんなにかスムーズだろうに…
 赤羽病院は3週間待てば入れるようだと案内があった。資料を見ながら電話面会をしたら、何と面会は月に1階のZoomのみという。板橋は週に1階のLINE面会という。6組ほどの私服や寝巻、靴など衣服・小物の準備も要るようだ。相談員さんからは、引き続き他も当たるので、説明を聞いて判断してほしいとのこと。不安の日々が続く…どこかにリハビリ病院が決まるんだろうか? 自分の体がもたない。


そうはいっても、11日の女声の演奏会は手術の日に重ならなかったので、参加することができた。コロナで2年も延期になった上、殆ど練習できていない内容だったので、私一人でも抜けると大きくパートのバランスを欠く。参加できて良かった。こんなバタバタだけど、後1つ混声の演奏会が2日に残っている。転院はどこも平日しかダメみたいだから、これも多分大丈夫だろう…その他大勢でこっちは私がいなくても…いや居ない方が良い音かもしれないが^^;でもせっかく1年間練習してきたのだから歌いたい。息抜きもないと参ってしまう。悪い娘かもしれないけれど、2日の演奏会に出たら母の事に集中しよう。
歩き出したら、勿論認知症だけど何も分からない状態より良くなると思う。もう2年半以上も施設から出ていない母、娘にケンツク言われてでも、たまには家に戻って自由にできる時間も持ってほしい。大好きな🌸を触って、俳句を作ってTVを見て…そんな普通の自由を楽しんでほしいのが理想だ。⇒紫陽花があちこちで綺麗。マンション前のもの

 2008年頃、父がデイケアに通って3年、とうとう歩けなくなって厚生病院に入院した頃、東京にいる人達での10人程で中学同窓会が始まった。30年ぶりくらいに再会したのだが、その中にそのすぐ後にお母様が認知症になり、お父様が奔走して介護に当たった男子がいた。発症は父より遅かったのに、進行が早くあっという間に混濁状態や感情の起伏が激しくなって症状が悪化し、周りは大変だったようだ。同級生は東京から月に1回、土日で福岡に両親の様子を見に行き、色々と話相手になったり親孝行していた。仕事がある男性が、土日を使って遠距離で介護するのは本当に大変だったろうと思う。そのお母さんが、施設で骨折したこともあったのを思い出す。遠い分もどかしい事ばかりだったろうな…
うちの父より先に亡くなられ、お父さんは認知症は無かったけれど、自分の住む町に引き取って自転車で通える近くの施設に入って貰い、毎週訪ねていたようだ。奥さんに任せてしまう男性が多い中一人で奔走していた姿は、気持ちの良い爽やかなものだった。もうお父さんも亡くなって、お墓も福岡から自分の町に移動したと聞く。本当に良くできたものだ、親に優しいからこそ出来ること…大した人だなと尊敬している。今頃は定年を迎え、奥さんや近くに住む娘さん家族達との悠々自適の日々を送っていることだろう。
⇒梔子の時期になった 香の強い大好きな花だ ベランダの姫梔子

私には未だ母の残された時間を楽しく過ごさせてあげる仕事が残っている。できれば杖を突いてでも母がまた自力で歩けたらなぁ…リハビリ病院が早く決まらないと母の認知症がどんどん悪化する…昨日・今日とかなり朦朧としていて、会話が続かなくなってきた。悲しいけれど、私にはもう術がない。25日は主人がマンション理事会、研修会、自分の練習などで一緒に行けないので、私だけで行こうと思っていたら、息子達が行くという。暑いのに子連れで無理しないでと言ったが、嫁のおばあちゃんの香典返しを届けなきゃだし、たまには自分も休めと言う。そういえば17日間毎日通ってきたな…ってことで息子一家に任せて家からLINE参加。やはり会話のキャッチボールにならず反応が鈍くなっている。そうだよね、何をしたらよいか分からないのだから…「言って貰えばするから」と言うのが切ない。「そこは病院なんだから何でも自分でして、どんどん動かないとね」と言いつつ、施設だと大事を取り過ぎてリハビリにならないだろうとも思う…
⇒今年初めて咲いた朝顔

リハビリ病院に転院する意味はあるのだろううか? そしてその後はまたあの施設に帰るの? 施設への不信がぬぐえない主人が、今の施設に帰さない方が良いんじゃないかと、色々と通える範囲の施設も当たってくれている。考えるときりがない見えない未来…でも仕方ない、1日1日できることを積み重ねるのみだ。当節認知症の親を抱えてる人は山ほどいるはず。自宅で看ている人も多いだろう…皆頑張っているのよね…自分が何か病気になったり怪我をしたりしないよう気を付けながら過ごさなきゃ。こうして何かあると、不安になって食べられなくなり痩せて行く人も多いという。私は不安になると食べてしまい太る。ガタイの大きな声のでかい、かわいくないバアサンだ…でもいいのだ、今は免疫を下げる治療をしているので、食べないと体温が下がり体が冷たくなって元気が出ない。食べないと母を看られないんだから^^;。
狭いマンションのベランダで土いじりをして気持ちをほぐす
⇒胡瓜の実、大きくなるかな~♬

⇒トマトも赤くなるかしら(^.^)

山ほど愚痴った。気持ちを替えて、明るい未来を信じよう。
皆さんにも私にも好い事が待っていますように(^^)v

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