水仙の風景いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会ホールでのコーラスの演奏旅行で、ヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅ですが「撮る」ことを楽しんでいます

写真を「撮る」ことが好きです^o^
今はiフォンが主で、上手ではなくても四角の枠に自分なりに考えて撮ってます。思い出の昔の写真から楽しみながらアップしていきたいと思います

独り言…旅は非日常の夢の世界^o^

人間ができていないと、色々なことが邪念になって歩む道を阻むものだ(笑)
そんな時は緑や川、山々など自然の多い場所や美しい建物や可愛い動物などを見に旅に出たくなる。静かな風景も街の雑踏も心を癒してくれる気がする。


とても悲しいことがあってめげていても、お構いなしに陽は登りまた陽は沈み、ちっぽけな自分に関係なく時が動いて行くのが無慈悲だと思ったり、だからありがたいと思ったり…人は、いや私は弱くて、それを囲むすべての物は偉大だってことかな。


具体的に言うとみもふたもないけれど^^;私は今、母の認知症と戦っている。「親子だから」の病気に対する対する悔しさ、症状への悲しく情けない思い、自分が助けられないふがいない思い、今迄の親子関係の交々の色々が絡み合ってボロボロだ。


「そこそこすぐ慣れて」との思惑は外れた。エアコンがあっても入ってないので汗をかいていたり震えていたりする。「着替えたらここへ」とメモを張った衣類かごを置いているけれど、汚れ物と新しい物の区別がつかず混ざっている。肌着も着替えていないようだ。日記は何故か11月迄書いてある。部屋から出ないので歩みがよたよたになっている。


家に戻ると今したことを忘れてエンドレスの繰り返しでうんざりとか、忘れていることに気付いて悲しむのが気の毒とかとは別の、年老いて「あの母」がもう違う人になっているもどかしさの言いようはほかにない。全て「認知症」の仕業だ。当節親の面倒を看ている人は山ほどいて、認知症の介護も良くある話なことは分っている。皆偉い、いい意味淡々と上手に過ごしているのは大したもんだ。


こんな病院(だと思い込んでいる)に閉じ込め「られ」て外に出られないなんて、早く死にたい。長く生き過ぎた、お父ちゃまが迎えに「来てくれ」ればいいのに。故郷に帰れば親戚か友達の誰かが「きてくれる」だろうから帰りたい…自分の意志はない。


一方母の施設入所(といっても週に2日は家に来る「行き来」状態だけど)のおかげで私は犯罪者にならずに済んでいるともいえる。母と向き合うことは明日の母と自分の恐怖と隣り合わせでもある。


自立できないことが分らない母に寄り添うべき娘は、時として後ろから母を殴りたおしたくなる。どうにかする方法がないのだ。昔欽ちゃんファミリーの清水由貴子さんがお墓の前で車いすの母親と無理心中した時に、愚かなあり得ない事と思ったけれど、何だか気持ちがわかる気がする。


全て「認知症」という病気のせいなのだ、それは分っているし私は病気なんかに負けたくない。なのに頭ではわかっていても、話しても分らないのに答えてしまうし「そうだねぇ
」と言えばいいのに、たった6ヶ月で母に死なれとか、福岡に戻って暮らせるのにとか、兄はどうしたっけのエンドレスの話に「だからぁ」とついつい声が大きくなってしまうのだ。


主人とは怒鳴り合いになるし、子供達ともぎくしゃくする。彼らは家族だからこそは私のことを思ってくれるのだが、母と親子ではないので私のぐちゃぐちゃな気持ちは分らなくて当然だし理解してもらうことは無理だ。


・・・・・・・・・・・


どうしたらいいのかわからない。無視するか離れるか…私は菩薩ではいられず、施設もなかなかしてほしいことのスタッフとの伝達がうまくいかない。
へとへとに疲れ切った時にふとこの曲が浮かんだ。


「愛は花、君はその種」


優しさを押し流す 愛それは川 魂を切り裂く それはナイフ
とめどない渇きが愛だと いうけれど 愛は花 生命の花 君はその種


挫けるのを恐れて 踊らない君の心 
覚めるのを恐れて チャンスを逃す君の夢
奪われるのが嫌さに 与えない心 
死ぬのを恐れて いきることができない


長い夜ただ一人 遠い道ただ一人 愛なんて来やしない 
そう思うときには 思い出してご覧 冬 雪に埋もれいても 
種は春 お日様の愛で花開く


「The Rose」


愛は河だという人がいる 若くて柔らかい芽を飲み込んでしまう河だと
愛は鋭い刃物だという人がいる 魂から血を奪い取る刃物だと
愛は飢えだという人がいる 満たされることない渇望だと
私は愛は花だと思う  そしてその大切な種があなたなのだ


傷つくことを恐れている心 そんな心では楽しく踊ることができない
目覚めることを恐れている夢 そんな夢ではチャンスはつかめない
誰も受け入れられない人 それでは与える喜びを知ることはない


そして死ぬことを恐れている魂 それでは生きることの意味を学べない
夜が切なく寂しくなったとき そして道が余りにも長すぎると感じたとき
また、愛は幸運で強い人間にしか やってこないと思ったとき


思い出してほしい 厳しい冬の深い雪の下には 暖かい太陽の愛を浴びるための種があり
春にはバラの花を咲かせるということを…


・・・・・・・・・・


ありがたいことに美しい歌は心をほっとさせてくれる。
負けるもんかと思うけれど、こんな思いをしてまで生きなきゃならないんだろうかとも思う。母に色々こうしてね、と言うことが本当にいいのか…私が25年後生きていてぼほけずに生きる努力をするだろうか…生きる意味なんかもうどうでもいいんじゃなかろうか…


種が花を咲かせる時はいつ? 母か私が死んだ時だろうか…いや、もう咲き終わって種の時代かも(笑)。ははは、大丈夫、こうして私は楽しく考えることができる。


TVで去年行ったクロアチアが紹介されていた。綺麗だったなぁ。お金も時間もないけれど、いつかまたヨーロッパのどこかにいけたらいいなぁ…
しなきゃならないことはいっぱいあるけれど、まだこのサイトではアップしていない去年の旅の写真をアップしようかな。



読んでくださった方へ
愚痴やマイナーな話は聞く方にとったら迷惑でしかありません。にもかかわらず、書くことで発散させてもらってすみません<(_ _)>



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