水仙の風景いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会ホールでのコーラスの演奏旅行で、ヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅ですが「撮る」ことを楽しんでいます

写真を「撮る」ことが好きです^o^
今はiフォンが主で、上手ではなくても四角の枠に自分なりに考えて撮ってます。思い出の昔の写真から楽しみながらアップしていきたいと思います

父の三回忌と鹿児島墓参りその1

父が認知症を発症していると医者からはっきり言われて3年、認めようとしない母を説得してデイケアに通っていた父が自立できなくなり入院。それからちょうど10年だ。7年間を通っていた厚生病院で過ごし、亡くなって丸2年。


1月半に一度福岡迄様子を見に行くこと9年頃、母にも認知症の症状が出始め、東京で一緒に暮らし始めて2年8か月。この頃は私の脳みそもちょっとオカシイ(笑)。


とにかく8月12日の父の三回忌に合わせて、娘夫婦と3歳の孫、息子夫婦と9か月の孫、母と主人と私、一家総出で福岡に行った。人間がバタバタしていようが、富士山は変わらず…(笑)

博多湾の志賀島の浜の上を通る

6月末に1人で家に風を通しに行ったのだが、筑後平野に近い朝倉や日田の大雨もあって今年の九州の雨の湿気は尋常ではなく、黴だらけだった。それでも2階はまだマシで布団は使えた。
先ずはお墓詣り。

お坊さんにお経をあげてもらったあとで記念撮影。きちんと並ぶ前ってちょっと面白い(笑)

一周忌も身内と、父の月星化成時代の方、聖マリア病院時代の方、両親が仲人をした数組みだけだったが、3回忌はもっと身内だけでお寺さんにうちの仏壇でお経をあげてもらう簡単なもの。本来ならどこか料亭で御斎をしなきゃならないところだが、孫たちも小さいので家で寿司やオードブルなどを振る舞ってごまかした(笑)。


そして今回でもう母も最後だろうし、いつも自分の育った鹿児島の栗野のことばかり言うので、母の実家に行きお墓詣りをして鹿児島市内にいる母の弟たちと従姉妹に会わせる企画を立てた。大人7人にチャイルドシートとベビーシートで10人乗りのバンを借りて行く。
息子は車での営業が8年近くになるし、婿も仕事で劇団のメンバーを載せて全国を回ること数年のベテランなのでありがたい。何事?みたいに大きな車だ(笑)

お盆のお飾りとお供えをしたら迎え火を早くに焚いて、九州自動車道で先ず八代へ。そこから、母が汽車で栗野まで行っていた肥薩線と並行している球磨川沿いの一般道へ降りる。昔、両親と子供達で行った道で懐かしい。

空が広いのは田舎の特徴。広々として気持ちがいい

阿蘇に続く山並みが見えてくる

球磨川沿いに入ると、川の淵の細い道になる

幾本か橋があるので渡ってあっちこっち(笑)

連日35度近くになり暑いけれど、緑の山と球磨川の水は涼しげ

時々見える岩がいい感じ。父といつか毛バリ釣りにきたいね、と言っていたのが懐かしい

川の中央は結構深い

山深いひなびた感じがいい

肥薩線の鉄道が横を上になったりした下になったり並走する

トイレ休憩で川に降りた。男3代

嫁が手づかみで小魚を撮った、すごい!!

1日に何本か(笑)電車も通る

球磨川下りの船が出ていた。人もいるんだね(笑)

お昼をとって、また人吉から高速で栗野へ行きお墓詣りへ。母の一番下の従姉妹が私より4つ上で、一人残っているので寄らせてもらう。

川内川の上流になる、吉都線の鉄橋。あの向こうが母の里。

堤防ができる前は夕立だけでも、道路は川からの水で水に浸かっていたものだ。

昔は祖祖父や祖父が町長などしてにぎやかだったが母の実家も川内川の堤防工事で壊され、今は竹林と水神様・竜神様・氏神様の灯篭の前に「旧池田家文化財跡」の標識があるだけだ。私自身も小さい頃から、豊中に居る時も福岡に居る時も毎年お盆には来ていた懐かしい場所。
昔は使用人も多くいて私が学校に上がる頃迄、昔でいう下男さんに「茂! 履物」などと大人のまねをして言っては、祖父に窘められていたっけ(笑)。
変わり果てても、私でさえそうだから母の懐かしさは一入だろう。無事白い菊を備え、従姉妹の所で休憩させてもらう。


鹿児島のスイカも甘くておいしい

この後は霧島温泉のホテルで一泊。婿の誕生日祝いも兼ねてご馳走を堪能。
個室食事のはずがホテルの手違いでとれていなかったので、焼酎をつけてくれ、子供の料理がサービスになった。

アイスだー、と孫が目を輝かせる(笑)

先ずは法事とお墓詣りを済ませてほっとした。これに畳の3畳ほどの和室むがついている。そんなに広くなくていいからもう少し安くしてほしいなー(笑)
温泉に浸かって、お疲れさん。



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