水仙の写真いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会黄金の間大ホールでのコーラスの演奏旅行でヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅中心に綴ります

写真を「撮る」ことが好き^o^
主にスマホで、時々ミラーレスで
旅行では動くバスの窓から撮るのが腕の見せ所(笑)。
四角の枠に自分なりに考えて構えるのが楽しみ
思い出の昔の写真から日々の写真までアップしています

イタリア4日目 ポンペイの遺跡見学

ヴェスヴィオ火山の噴火で西暦79年にポンペイの街は火砕流と灰によって埋もれた。遺跡として発見され、発掘作業が橋迫ったのは18世紀半ばということだ。


丁度TVで当時の様子を復元するドラマ仕立てのものや、女優さんが街を訪ねるドキュメントなど何度か遺跡の特集があって、一層興味が湧いた。2000年も前の街が灰に埋まって忘れ垂れていたのに、そのままの姿を見せてくれるなんてびっくりする以外にない。しかも当時既に今より進んでいる位のリッチな街が構成されていたのだから!!


また火山ガスで一瞬にして亡くなった妊婦や母と子、犬などまでが苦しさを感じているそのままの姿が復元されている発掘物なども見たい。突然高温の火砕流で亡くなったので、その体の形が空洞になってしまったなんて悲惨なことだ、手を合わせるくらいはしたい。日本も火山国でいつ似たようなことになるかも知れない…とにかく2000年も昔の街を実際に歩けるというのが嬉しい!!


ところが起きたら雨がざあざあ降り…何てこった…よりによって今日?


まずは遺跡の入口にあるカメオのお店でトイレを借りて(お店の商品も見まーす(笑))入場する。カメオは素晴らしかったけどとても私なんぞに買える値段ではなく、色々と選んでいる人はすごいと思いながら写真のみ(笑)。
外に出ると雨は小降りになり、見学を始める頃には傘いらなくなった、ラッキー!

出ました、かさ松並木!!

現地ガイドさんも一緒にスタビア門から入り、剣闘士の運動場→室内音楽堂(オディオン)などから、バール→パンや→豪邸猪の家→浴場→アボンダンツァ通り(商店街や高級住宅の並ぶメインの通り)→フォロ(公共広場)→公衆トイレ→アポロン神殿→ヴィーナス神殿のルートで歩く。発掘の進んでいる部分の南西の1/4足らずのエリアを巡った。


丘になっていて高低もかなりある。丁度雨上がりの濡れた石畳の道を歩くのは不思議な気がした。グループにポンペイは3度目という夫婦がいて、ツアー3回より滞在数日すればいいのに、と思ったがそれぞれだ^^;。是非じっくり1週間くらいかけて詳しく見たい場所だった。



入口すぐの運動場





屋根のある室内音楽堂だった場所


今と当時を同じ画像の上にシートをかぶせて比較している本を買ったので、そこからの画像


出ると、右が坂の下でここから上がっていくメインの通りがあった

左右に住居跡が広がる

雨が多いときはこの低くなった石畳が水路になったそうだ

途中の飛び出た石は、水量が多くて流れているときに歩く場所の確保のほか、一緒に流れてくる物を食い止める働きの工夫があったらしい

私はおっちょこちょいで皆と逸れたらコワイので、こういう広くて迷ったらどうしようもない場所に行くときは、人から見つけてもらいやすい派手な色の服を着ていくことが多いが…これほどバカみたいなコーディネイトだったのかと思うと恥ずかしい(-_-)





水道の跡。何故女性の鼻から蛇口が出ているかはわからない



パン屋の今と当時予想写真


現在と今の予想図


坂の上は平らで広い


神殿跡

2000年前にも既に火山噴出物の岩石を使っていたみたい



作業場の公開をしている部分があった

痛々しい石膏の当時の様子を物語る発掘物にはやはりびっくりした。苦しかっただろうと思うと痛ましい。
あの山から火砕流が流れてきて、坂も駆け上って町も人も飲み込んだわけだ。

丘を降りると、お土産屋が沢山あった。
迷わず、同じ場所での遺跡の当時を想像する写真を載せて比べられる本を買った。その差もすごいけれど、それを再現できる資料能力があることにも驚く。
感動のまま再度ナポリの駅に出て、フェラーリ特急でフレンツェに向かう。

梅か桜のように咲いているのはどうやらアーモンドの花のようだ


ナポリの街に別れて列車に乗る。Gレベルに駅も列車もあり、色々な種類の列車が停まっている


これに乗っていきまーす!

だだっ広い幅の駅だ(笑)


しばし車窓を見ながらサンドイッチとサラダとジュースの昼食をとる。残念ながら食べちゃって写真を撮ってなかったことに気付く(笑)


フィレンツェ・サンタマリア・ノッベラ駅に到着。
かの有名なウフィッツ美術館があるフィレンツェだ、自然に顔がほころぶ(笑)















×

非ログインユーザーとして返信する