水仙の写真いっぱい駆け足旅

2008年のウィーン学友協会黄金の間大ホールでのコーラスの演奏旅行でヨーロッパが大好きに! 駆け足の旅中心に綴ります

写真を「撮る」ことが好き^o^
主にスマホで、時々ミラーレスで
旅行では動くバスの窓から撮るのが腕の見せ所(笑)。
四角の枠に自分なりに考えて構えるのが楽しみ
思い出の昔の写真から日々の写真までアップしています

初めてのイタリア旅行敢行 2015年3月


2015年3月末にイタリア旅行を敢行。母の大腸がんで奔走したこと、練習を時々休むことで(元々40台独身女性団長に嫌われていた(笑))S混声を辞めさせられたことなどの落ち込みの払拭が大きな気持ちだったと思う。


2014年の春頃からどうも母の様子がおかいと感じ始めた。2月を空けずに通っていた福岡だが、父が寝たきりになって6年目ともなると母も年を取るということだ。宗教がらみのデイサービスに取り込まれそうになったり、ペットボトルの箱ばかり4箱も生協で頼んだり…


夏以降は朝・昼・夕方・寝る前に電話して様子を確かめないと食事も薬も怪しくなった。福岡と東京の介護関係にも相談したが頑張れるまで遠距離の方がいいとの助言を貰った。でもひどくなる一方じゃ仕方ないと自己判断して、年末から母を引き取って同居を始めた。


年末中にケアマネさんを決め、2015年のお正月明けからすぐにデイサービスを始めた。同時に病院に行くよう勧めても行っていなかった内科・泌尿器科・歯科・眼科の病院周りもした。どうも下着の汚し具合が「ぢ」ではないと思って胃腸科での検査を経、大腸がんが見つかった。


ステージ3だったが幸い手術で取れるとのことで、すぐ予約を入れて貰い1月半入院待ちで2月末に手術。都立病院で日本でも有数な先生に当たり、本当にラッキーだった。3月初めには退院し、其れまで少食だったのがよく食べ元気になった。


手術前に実家の父の様子を見てきたが、相変わらずの寝たきりで鼻からの栄養補給は変わらず。顔は分って涙は流すが会話はできなくなっていた。父の今後を思うと辛いものがあった。


母の事で色々と雑事に追われ、出席が悪いと混声を一方的に辞めさせられたのがかなりのショックだった。本当に乗り物の中や病院の待ち時間も音源を聞いて頑張って個人練習をしていたので、曲をしあげられず辞めるのが悔しかったのだ。尤も「あなたが辞める必要はない」と団長に反旗を翻しても助けようとしてくれた人たちもいたのは嬉しかった。

母の大腸がんや人間不信もあり、病気はいつ襲ってくるかわからないことを目の当たりにして自分もいつどうなるかわからないなぁと思った。生きてるうちに旅行したいと思い、イタリア旅行を敢行。何故イタリアかというと、2011年にイタリア公演寸前で中止になったままの憧れが大きかった。母は昼間はデイサービスだが、留守の間の朝晩は娘にバイトで来てもらう。


かくして憧れのイタリア旅行はやはり二度目はないだろうと駆け足旅行にする。ローマのレオナルド・ダビンチ空港から入り、ベネチアのサンタルチア空港から帰国、途中で高速鉄道も使用。ざっくりローマ→ナポリ→ポンペイ→カプリ島→ポンペイ→ピサ→ミラノ→ベネチア等の有名どころを走り抜ける(笑)もので、聖フランシスコ寺院とアルベロベッロが入らないのは残念だったけれど、3月末の安い時期のコースを選んだ。


バカみたいに写真を撮った割には綺麗なものきちんとしたものは少ないのだが、また少しずつアップしたいと思う。


ローマについたのはずいぶん遅い時間で10時ごろ。そこからやたらと天井が高くて広いホテルについて説明を聞き、すぐ部屋へ。夜景が綺麗だった。

朝起きたらえらくでっかいホテルに泊まっていたことが判明(笑)

ガッツリとブッフェの朝食を食べて、ゆったりバスで観光へ。2人組が多いが、座席の場所は前・中間・後方を1日人に変わっていくというラフなもの。

7:30にはホテルを出発し、午前中ヴァチカン市国の観光。午後はローマの歴史地区を見て回り、4時過ぎにナポリへ向かう予定。


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