実家へのノスタルジー旅 ③梅林寺・駅前
折角だから、レンガの道を通って篠山城から有馬一族や藩の墓所でもあった梅林寺にも寄った。遠距離介護で通っていた頃も、父をデイケアに送った後母を連れだして花見に行ったものだ。名前の通り約30種500本の梅が有名だが、修行の厳しさも有名で名僧を送り出していて、臨済宗のお寺の建物自体も見ごたえがある。父が倒れる迄は、西日本では有名な8月始めの花火大会は欠かしたことがない。梅林寺の横を通って筑後川材の堤を歩いて行ったものだ。
ここを右に行くと大庫裏へ。真っすぐに進むと太鼓橋があり、その先が梅林になる
木を駆使した建て方の重厚感ある金剛窟 鬼瓦も立派だ
大庫裏入口
修行僧たちが料理を作る建物も大きい 寒い時期も裸足で修業をしていて冷たそうだったのを思い出す
紅葉が残っている場所は美しい
禅堂に続く入口も威厳がある
ここから唐門の方に曲がると銀杏が見ごろだった
振り返ると
左手に、梅をアレンジした珍しい形の石の手水がある
その向かいに唐門がある
この複雑な彫を見ていると心が穏やかになるので、時間を忘れて見入ることが多い(笑)
この、全面に施された浮彫が見事だ 夫々一枚板に龍と僧が彫られていて、上野の東照宮の登り龍と下り龍を思い出す構図だ。
階段を下りて並行に進むと経蔵がある
右に有馬藩の霊廟が見える
うちは浄土宗無量寺が菩提寺だが、多くの有馬藩藩士はここを墓所としている
更に進むと門があって、その先は梅林になっていて筑後川に抜ける。1月末頃には500本もの見渡す限りの梅の花と香りで素晴らしい。太鼓橋を振り返る
梅の時期の動画をみつけました
この鉄橋をこちらに渡るとJRの駅…
大学の頃や東京に来てからも、電車で帰るときはこの鉄橋を渡ると身が引き締まる思いがした。田舎だから「Mさんのげの娘さんが帰ってこらしゃったげな」と、一体どこで見ているんだか、服装や持ち物や態度に対しての批評があるし(笑)川向こうは鳥栖方面になる
市民憩いの公演を後に
JRからバス乗る今や西鉄の方が賑やかだが、新幹線が通るここも九州の機転の1つだ。
立派ではあるが、新幹線が通るようになってどこの駅も同じような駅舎になってちょっと残念。
駅には色々モニュメントがある
今は本社が東京に移ったが、ゴム三社として月星化成・ブリジストンタイヤ・アサヒシューズが筑後川の水を使って操業していた。ブリジストンもアサヒも創業者は石橋さん、筑後地方に多い名前。因みに祖先も江戸末期に石橋から夫婦養子がされたり近しい名前だ(笑)。
儀右衛門のからくり時計
田中 久重(1799年 -1881年)は「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれた東芝の創業者。時間になると動く仕掛けになっている
豚骨ラーメンの発祥地でもあり、屋台のオブジェがある
3号線のバス停から坂を上って実家に着く。見慣れていた実家も50年前に父が建てて20年程前に二世帯同居で増改築し、また四半世紀…近く取り壊しにする予定だが、よく頑張りました(笑)
翌日も晴れて陽の出が綺麗。
コロナで「またこんど」がないかもしれない事を知ったので、主人は博多で働いていた頃の仕事中間と15年以上ぶりに会う。私も久しぶりの高校時代からの友人(DECOクレイ・クラフトを紹介してくれ筑紫在住)を訪ね、中学時代からの友だち(10月に浦和から福岡に戻り二日市在住)に会う予定
続く