熊野古道への旅 その②玉津島神社界隈
海に出て、玉津島神社へ
玉津島神社の最初の記載は『続日本記』で、この地の景観を末長く守り御霊を祀るよう聖武天皇が詔勅を発したと記されている。その後、称徳天皇と桓武天皇も玉津島行幸したという。奈良時代だからやはり古い。
藤原為家、本願寺覚如、将軍足利義詮等の和歌の奉納などが有名。後、徳川頼宣、松尾芭蕉や各時代の天皇などの文化人が多くの歌を奉納している。江戸初期に紀州を統治した浅野幸長に社殿が再建され、徳川頼宣により本殿などの本格的な整備がなされた。1992年から多くの市民の浄財であちこちが再建されつつある。まだ工事途中の場所がかなりあった。
海禅院のある島への端、三断橋の先(工事中)
いにしえの御代には、島山が恰も玉のように海中に点在していたと想像される。山部赤人の長歌「神代より然ぞ貴き玉津島山」と詠まれたように、風光明媚な神のおわす場として崇められ信仰されてきた。小高い岩山は奠供山
鹽竈神社は玉津島神社の祓所から神社になった。海産物、安産の神として信仰されてきた神社で、神体の塩槌翁尊は輿の窟という岩穴の奥にある。道路の脇、という感じの狭い神社だが、古くから信仰されていたようだ。手前には古い松の根が岩に巻き付いていて、祀られている。
丘の下は直ぐ海に向かう道なので、場所が狭くてびっくり
和合の松と言われる大きなぐるっと回っている幹が凄い
ここから道を挟んで対面に不老橋がある。眼鏡橋のように真ん中が高くなっていて、欄干には古い細工物の設えが美しかった。外側の新しい橋
内側に昔からの橋がある
かなり古い飾り模様だ
普段ならバスでギュウギュウなのだろうが、殆ど人は居なくてゆったり
タイルでの説明が珍しい。
あちこち手が入っている途中で、工事が行われている。綺麗に整って皆に来てもらえるといいなと思う。ここが新しくなった正式な鳥居。
先ずは自由参拝 お稲荷さんの狐がしっかり洋服を着ていた
もみじが綺麗
古すぎてよく分からないものもある…
ここからまた皆で、ガイドさんに従って奠供山へ向かう。1段の幅が大きく、しかも一定でない急な階段が続いてちょっと疲れた。
結構な石段が続く
やっと上がりおおせたかと見上げると海が素晴らしい
さっき見てきた橋も下に見える
風光明媚なこの丘に、明治時代にエスカレーターのようなものができたらしいが、夏目漱石等の文人たちがこれは変だと苦言を呈したらしい。今はその後が残っていた
それ程広くない丘の上だが、色々な文人たちの声が聞こえるような時代を感じる
雰囲気を持った場所だった
行きとは違うルートで降りるのだが、これも相当に急な道だった
下りも急で、ゆっくり歩いてくださーい!の声で皆おそるおそる(笑) 余りにすたれていたのを近年あちこち手を入れて整備されつつあるらしい。ここの石も新しかった
根上がりの松の根っこを展示してあった
地面から根っこが上に上がって育つもので、境内に現役の若い木が数本あった。
色々な句碑があって、これもきちんと整えてあった
降りて最初に来た広場に回る。資料館にするように建物と周りを整えている最中の様だった。古いいい感じの建物で、復興されると見応えがありそうだ。
貸しあったよねー、こういうガラス戸…懐かしい(笑)
灯篭なども今調査中の感じで、着々と整えられている所のようだ。
丘の頂上も含めて、周囲が歴史的な地域になっていた。コロナが落ち着いたら日本の歴史的な場所として人気になるといいなと思う。
海を見わたせるこの地に、大和時代からの歴史が続いているのを感じた見学だった。
続いてお醤油の里を通ってホテルに移動する。